ワシントン体制
ワシントン体制とは、第一次世界大戦後、太平洋と東アジアの国際秩序を調整するために開かれたワシントン会議を起点として成立した国際秩序の枠組みである。欧州におけるヴェルサイユ体制に対し、主として太平洋世界を対象とした秩序として位置づけられ、列強の海軍軍備制限と中国の領土保全・門戸開放の原則を柱とした。アメリカ合衆国、イギリス、日本、フランスなどの列強は、この体制によって対立と軍拡競争を抑え、安定的な国際関係を築こうとしたが、やがて1930年代の国際緊張の高まりの中で動揺し、崩壊へと向かったのである。
成立の背景
ワシントン体制の成立背景には、戦後の不安定な国際情勢と、太平洋地域における利害調整の必要性があった。第一次世界大戦後、欧州ではヴェルサイユ条約によって秩序が再編されたが、太平洋と東アジアでは日米英を中心とする列強の対立が残されていた。特に、対華二十一か条要求やシベリア出兵などを通じて膨張した日本の勢力に対し、アメリカ合衆国は強い警戒心を抱いていた。また、戦時中に締結された日英同盟の行方や、中国における権益配分をめぐる問題も未解決であり、新たな国際会議による調整が求められたのである。
ワシントン会議と主要条約
1921〜1922年に開催されたワシントン会議は、ワシントン体制を形づくる複数の条約を生み出した。この会議では、太平洋における安全保障、海軍軍縮、中国問題の3点が中心議題となり、列強はそれぞれの利害を調整しながら新たなルール作りを進めた。その結果、太平洋の現状維持と相互協議を定める条約、主力艦建造を制限する軍備制限条約、中国の主権尊重と門戸開放を確認する条約などが締結され、太平洋秩序の枠組みが整えられた。
四カ国条約
四カ国条約は、アメリカ、イギリス、日本、フランスの4か国が締結した条約であり、太平洋地域における現状維持と紛争発生時の相互協議を定めたものである。この条約によって日英同盟は廃棄され、イギリスは特定の同盟国に偏らず、多国間協調の枠組みへと移行した。四カ国条約は、特定の国を敵視する軍事同盟ではなく、協議による紛争解決を原則とする点で、ワシントン体制を象徴する協調外交の一環といえる。
ワシントン海軍軍備制限条約
ワシントン海軍軍備制限条約は、主力艦の保有比率をアメリカ・イギリス・日本・フランス・イタリアの間で「5:5:3:1.67:1.67」と定め、戦艦・空母の新造や保有量を制限した。この条約は、戦前の海軍軍拡競争を反省し、軍事費負担の軽減と軍備競争の抑止を目的としたものである。とくに日本にとっては、列強の一員として一定の比率が認められた一方で、対等ではない制限に不満も残したため、のちに軍部や国民世論の反発を招く要因ともなった。
九カ国条約
九カ国条約は、アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリア、ベルギー、オランダ、ポルトガル、中国の9か国が参加し、中国の主権と領土保全、そして門戸開放・機会均等の原則を確認した条約である。これは、列強が中国市場への平等な進出を認める一方で、中国に対する支配や分割を抑制する建前を整えたものであった。九カ国条約は、形式的には中国の独立と統一を尊重するものであったが、実際には列強が既得権益を維持しながら秩序を管理する枠組みであり、中国にとっては不平等性を残す体制でもあった。
ワシントン体制の特徴
ワシントン体制の特徴として、第1に多国間協調と軍備制限を通じて平和維持を図ろうとした点が挙げられる。四カ国条約や海軍軍備制限条約は、従来のような二国間軍事同盟ではなく、複数の列強が協議と制限を受け入れることで秩序を保とうとする仕組みであった。第2に、中国の領土保全と門戸開放を原則として掲げ、列強の対中政策に一定のルールを与えたことがある。さらに、この体制は欧州におけるヴェルサイユ体制と連動しつつ、太平洋における平和と安定を目指した点で、20世紀前半の国際秩序の重要な柱となった。
日本外交とワシントン体制
日本にとってワシントン体制は、協調外交路線の象徴であった。日本は国際連盟加盟国として欧州の安全保障体制にも関わりつつ、太平洋では四カ国条約や九カ国条約、海軍軍備制限条約を受け入れ、列強の一員として国際協調に参加した。特に、幣原喜重郎らが推進した協調外交は、軍事的拡張よりも、国際的信用と経済的利益の確保を重視する姿勢を示していた。しかし同時に、日本国内では海軍力制限や対中政策の制約に対する不満も蓄積し、のちの強硬外交や軍国主義化の土壌となっていった。
ワシントン体制の動揺と崩壊
1930年代に入ると、ワシントン体制は世界恐慌や各国の経済不安、民族主義の高まりの中で揺らぎ始めた。日本では満州事変を契機に対外強硬路線が強まり、中国大陸での行動が九カ国条約の原則と衝突した。また、日本の国際連盟脱退は、協調外交からの決別と、太平洋秩序の再編を意味した。一方、ヨーロッパでもドイツやイタリアの台頭によってヴェルサイユ体制が崩れ、世界は再び大戦へと向かっていく。こうして、ワシントン会議で築かれた秩序は約10数年で機能不全に陥り、ワシントン体制は歴史的役割を終えることになったのである。