ワシントン海軍軍備制限条約
ワシントン海軍軍備制限条約は、1922年に開かれたワシントン会議で締結された海軍軍縮条約である。アメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの5か国が主力艦(戦艦・巡洋戦艦)の保有量を制限し、第一次世界大戦後に激化しつつあった海軍軍拡競争を抑えようとした点に特徴がある。これはヨーロッパでのヴェルサイユ体制と並び、国際秩序を軍備制限によって安定させようとする試みであり、集団安全保障を掲げた国際連盟体制の一環として位置づけられる。
成立の背景
ワシントン海軍軍備制限条約の背景には、第一次世界大戦後の世界的な軍縮機運と、アメリカと日本を中心とする太平洋での海軍競争があった。特にアメリカは巨大な建艦計画を進め、日本も八八艦隊計画によって戦艦の大増強を図っていたため、財政負担が急増していた。また、イギリスは世界最大の海軍大国であったが、戦後の経済難から軍事費削減を強く望んでいた。さらに、対米協調を模索する日本では、条約締結を通じて日英同盟後の国際的地位を維持し、太平洋での衝突を回避する意図もあった。
条約の内容
ワシントン海軍軍備制限条約は主として主力艦に関する制限を定め、その保有総トン数比率をアメリカ、イギリス、日本、フランス、イタリアの順に「5:5:3:1.75:1.75」とした。この結果、日本はアメリカ・イギリスより劣るが、他のヨーロッパ諸国よりは優位な地位を得たとされた。また、条約は主力艦の新造停止や旧式艦の廃棄を義務づけ、過度な建艦競争を抑えることを目指した。
- 主力艦保有量の比率(5:5:3:1.75:1.75)の設定
- 一定期間の主力艦建造停止(建艦休止)
- 一定年数を経た旧式艦の廃棄規定
- 航空母艦の保有制限と、主力艦からの改造の容認
- 太平洋の一部地域における要塞化・軍事施設の新設禁止
日本海軍と国内政治への影響
ワシントン海軍軍備制限条約は、日本海軍内部に深刻な対立を生んだ。国際協調と財政負担の軽減を重視し、条約を支持した「条約派」と、比率「3」が国防上不利であるとして反対した「艦隊派」である。条約派は、アメリカとの全面戦争は想定しにくく、技術力や運用で劣勢を補いうると主張したのに対し、艦隊派は将来の対米戦を重く見て、質・量ともに拮抗した艦隊の保持を求めた。この対立は、その後の日本政治において軍部の発言力が増大していく過程と結びつき、やがて太平洋戦争へと続く軍部強硬路線の土壌の一部となったと評価されている。
その後の展開と意義
ワシントン海軍軍備制限条約の枠組みは、1930年のロンドン海軍軍縮条約へと引き継がれ、補助艦艇に対する制限も加えられた。しかし日本では、比率を不利とみなす世論や艦隊派の影響力が増し、最終的に1930年代半ばに軍縮体制から離脱する方向へと傾いていく。条約そのものはやがて失効し、世界は再び第二次世界大戦という総力戦へ突き進むことになった。それでもこの条約は、国家間が協調して軍備制限を制度化しようとした最初期の本格的試みであり、後の軍備管理や軍縮交渉の先駆的事例として国際関係史上大きな意義を持つ。