国際連盟|集団安全保障を担う機関

国際連盟

国際連盟は、第一次世界大戦後の1919年に構想され、1920年に発足した世界初の常設的な国際平和機構である。戦争を合法的な外交手段とみなしてきた19世紀の勢力均衡外交を批判し、各国が協力して平和を維持するという「集団安全保障」の理念を掲げた点に特徴がある。スイスのジュネーブに本部を置き、多数の加盟国を集めたが、アメリカ合衆国が参加しなかったことや、侵略国に対する抑止力が弱かったことから、やがて第二次世界大戦の勃発を防ぐことはできず、戦後に国際連合へと役割を引き継いで解体された。

成立の背景

第一次世界大戦では、総力戦と新兵器の投入によって未曾有の被害が生じ、戦争そのものを違法化すべきだという世論が高まった。アメリカ大統領ウィルソンは「十四か条の平和原則」を提唱し、その中で公開外交や民族自決と並んで、世界平和を維持するための国際機構の設立を唱えた。この構想は1919年のパリ講和会議で具体化され、講和条約のうちヴェルサイユ条約など各講和条約に「国際連盟規約」として組み込まれた。こうして国際連盟は、講和条約体制と結びつきながら生まれた国際秩序の中核として位置づけられたのである。

設立と加盟国

国際連盟は1920年に正式に発足し、イギリス、フランス、日本、イタリアなど戦勝国を中心に多くの国家が加盟した。規約上は平和を志向する国家は広く参加できるとされ、新興国や中小国も加盟して国際世論を形成する場となった。しかし、構想の中心にいたアメリカ合衆国では上院が連盟加盟を拒否し、世界最大級の経済力と軍事力を持つ大国が参加しないという矛盾を抱えることになった。また、ソヴィエト=ロシア(のちのソ連)は当初排除され、後に加盟するものの、国際政治の対立が強まるなかで安定した関係を保つことはできなかった。

組織構成

国際連盟の組織は、総会、理事会、事務局を中心に構成されていた。総会は全加盟国の代表からなり、原則として年1回開催され、重要問題について討議した。理事会は大国と非恒常理事国から選ばれた少数の国で構成され、紛争処理など日常的な重要案件を扱った。事務局は事務総長を頂点に各種専門部局を擁し、技術的・実務的業務を担った。さらに、常設国際司法裁判所や、労働問題を扱う国際連合にも継承された国際労働機関(ILO)などの付属機関が設置され、国際問題に専門的に対処する仕組みが整えられた。ただし、理事会や総会における重要決定は原則として全会一致を必要とし、このことが危機の際に迅速な対応を妨げる要因となった。

活動と一定の成果

国際連盟は、単に戦争を防ぐだけでなく、多様な分野で国際協力の先駆的な取り組みを行った。フィンランドとスウェーデンのあいだのオーランド諸島問題など、いくつかの領土紛争は連盟の仲裁によって平和的に解決された。また、講和条約で旧ドイツ・オスマン帝国領に対して導入された委任統治制度の監督機関として、委任統治委員会を設け、委任統治領の統治状況に関する報告を受けた。さらに、難民救済、伝染病対策、麻薬取引の規制、女性・児童保護などの分野でも専門機関を通じて活動し、後の国際連合や各種国際機関へと受け継がれる多国間協力の実績を積み重ねたのである。

戦争違法化への取り組み

1920年代には、国際連盟の枠組みと並行して、戦争を法的に禁止しようとする動きも強まった。海軍軍縮と太平洋地域の秩序を話し合ったワシントン会議の結果は、列強間の軍備拡張競争を一定程度抑制し、国際協調の雰囲気を高めた。また、1928年には多くの国が参加して戦争放棄をうたうケロッグ=ブリアン条約が締結され、侵略戦争の違法化が国際社会の公式な原則として確認された。これらの試みは、のちの集団安全保障体制や戦後国際法の基盤を形作るうえで重要な意味をもったが、実際には違反国を抑止する強制力が弱いという限界も露呈した。

構造的な限界と侵略の拡大

国際連盟の最大の弱点は、強大な軍事力を背景にした侵略行為に対して有効な制裁を発動できなかったことである。アメリカの不参加、ソ連との不安定な関係、イギリスとフランスの利害対立により、大国間の協調はしばしば崩れた。1931年の満州事変では、日本の行動を不当とする報告書が提出されたものの、実効的な制裁は取られず、日本は1933年に連盟を脱退した。その後もイタリアのエチオピア侵攻やドイツの再軍備、ラインラント進駐などが続き、経済制裁や非難決議は行われたものの、軍事力を伴わない措置は侵略国の行動を止められなかった。

第二次世界大戦と解体、国際連合への継承

こうして、侵略の連鎖を抑えられなかった国際連盟のもとで、ついに第二次世界大戦が勃発した。戦争の進行とともに連盟の機能はほとんど停止し、実際の対独・対日戦争指導は連合国による臨時の協議体に委ねられた。戦争末期になると、新たな国際平和機構として国際連合の設立準備が進められ、その枠組みの中で集団安全保障体制が再構築された。1946年、国際連盟は正式に解体され、その資産や一部機関は国際連合に継承された。連盟は最終的には戦争を防げなかったが、常設の国際機構を通じて平和維持と国際協力を図るという構想を実際の制度として形にしたことにより、20世紀以降の国際秩序に大きな影響を与えたのである。