知行合ー|倫理,ソクラテス,王陽明,中江藤樹

知行合ー

知行合ーとは、知っていることと行動が同じであるという考え方。主に心理学や哲学で語られる。古代ギリシアの哲学者ソクラテスとは、魂(プシュケー)のそなえるべき徳が何かを知れば、徳についての知識に基づいて誰でも正しい生き方へと導かれるとした。中国の思想家は王陽明は、「知」と「行」は同じものであるとした。日本では中江藤樹王陽明の思想に共感し、紹介した。

目次

ソクラテスの知行合一

ソクラテスによれば、人間は誰でも自分なりの方法で善を求めているが、無知であるがゆえに、何が善であるかを知らない。なにが善であるかしらないがゆえに、しばしば悪に陥ってしまう。人が悪に染まる時、善を知らないからこそ悪に向かうのである。では、なにが善であるかを知ることができれば、ひとは善の方向に進むはずである。したがって、徳(アレテー)についての正しい知識を持てば、その知に導かれて善い生き方へと向かうことができる。このようなソクラテスの信念は、「徳は知である」といわれ、徳(アレテー)についての知識を重んじるが、それを主知主義という。またさらに進めて、善への知と善に向かう行為が合一すれば、それはそのまま幸福であるといえよう。a href=”/ソクラテス”>ソクラテスは、知行合一から福徳一致につながる。

ソクラテスの死

ソクラテスは法を尊守することを常に訴えていた。父母がこの国で出会い自分を生み、この国の法の下で育ち、この法の中で生きた。ソクラテスは国の神々を信じず青年をだました罪で裁判にかけられ、不当にも死刑を判決される。仲間たちから外国へ亡命するよう勧めるが、ソクラテスはそれを拒否する。ソクラテスにとって、法に従うことこそが徳であり、そうするように日常で述べていた。悪法とはいえ、普段自分が訴えていること(知)に従わない(行)ことは、許されず死刑を受け入れることを選んだ。ソクラテス生涯の最後をもって、知行合一のその意味を示したといえる。

陽明学(王陽明・中江藤樹)

陽明学では、知行合一として、「知」「行」はもともと一つの物であり、その本体である心にあると説明する。中国の王陽明は「知」と「行」とを分ける考え方を改めるために、知行一体「知は行の始、行は知の成」」とし、日本の陽明学の祖である中江藤樹は王陽明の教えを踏まえて、知っても行なわないのは、「始あらずということなし、よく終あること少なし。」とした。

「知は行の一なり、行は知の成るなり」(『伝習録』上、陸原静録)