日本史

日本史

太政大臣|律令制における官僚最高位

太政大臣 太政大臣、古代日本の律令制における大臣職で官僚最高位にあたる。701年の大宝律令によって設定された。神祇官が祭祀を担当したのに対し、太政大臣は行政を担った。太政官は、「その人なければ則ち闕けよ」と令に規定されたので則闕の官と...
日本史

中央官制|太政大臣,神祇官,弾正台,五衛府

中央官制 律令制度において、一般政務を行う最高官である太政官と並び、神祇・祭祀をつかさどる神祇官が置かれた。太政官の下に8省が置かれたので、二官八省という語で中央官制を総称する。そのほか、弾正台や五衛府がおかれた。 目次...
日本史

律令官制|蔭位の制,官位相当の制

律令官制 律令官制において、かっての豪族たちは国家から官職・位階・給与を与えられることとなり、独自に土地・人民を私有するのでなく律令官人組織に組み込まれて、貴族化していった。そのためこの時代から始まる律令制は天皇を絶対君主制と見なす説...
日本史

防人|北九州の防備に置かれた東国出身の兵士

防人 防人とは、古代、九州北部防備のために置かれた兵士で、大宰府に防人司が置かれた。大化前代以来の舎人制を引き継いだ制度で、663年(天智天皇)の白村江の敗戦以降に整備された。東国出身のものが大半を占めている。防人は難波に集結して、海...
日本史

律令(律令制度)|奈良時代,大宝律令

律令 律令とは日本が唐にならって取り入れた制度で、天皇を中心とした統一国家を作り出した。律は、現在の刑法・刑事訴訟法に相当し、刑罰を詳細に定めた令は現在の行政法・民法に相当し、官制・税制・田制・兵制・学制などを規定している。律令によ...
日本史

白鳳文化|唐の文化が入った華やかな仏教文化

白鳳文化 大化改新(645年)から平城遷都(710年)ごろまでの白鳳時代に栄えた文化を白鳳文化という。天智天皇や天武天皇により、律令制度や天皇の権威が固まった時代で、天皇や貴族中心の華やかな文化が栄えた。また唐との交流から初期の唐の影...
日本史

天武天皇(大海人皇子)|壬申の乱に勝利,皇親政治

天武天皇 天智天皇の弟で、天智天皇の子である大友皇子と壬申の乱にて衝突するが、これに勝利し、天武天皇として即位する。天武天皇は、公地公民制を徹底し、八色の姓などを設定して、身分秩序を明確化した。さらに旧豪族の上位者である臣・連は下位と...
日本史

大化改新|中臣鎌足と中大兄皇子による改革

大化改新 645年(大化1)の蘇我氏滅亡から649年(大化5)の中央官制整備ころまでを、大化改新という。中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足を中心に行われたが、大化改新の目的は、氏姓制度を廃して中央集権国家をつくることにあったが、その目的...
日本史

飛鳥文化|聖徳太子が夢見た仏教文化や宗教芸術

飛鳥文化 飛鳥文化とは、推古天皇から大化改新(645年)ころまでの飛鳥時代に栄えた文化である。百済や高句麗からの遣使を迎えており、朝鮮の影響を強く受けている。当時は隋が覇権を握っていたが、朝鮮から経由したため、南北朝時代の文化が色濃く...
日本史

遣隋使|聖徳太子による隋との外交,小野妹子

遣隋使 聖徳太子が中国の文化や仏教、技術、学問を取り組むため、隋に遣使を派遣したが、彼らを遣隋使といい、数回派遣した。小野妹子に持たせた国書には大国である隋にたいし、冊封体制から抜け、大きな影響を与えた。小野妹子や犬上御田鍬が代表で、...
タイトルとURLをコピーしました