日本史

世界史

漢字の伝来|渡来人による日本への漢字文化の勃興

漢字の伝来 日本では、4世紀から7世紀、鉄器時代にはいり、古墳が作られるようになる。そのころ中国や朝鮮との交流から渡来人が文字や漢字を日本に持ち帰った。『日本書紀』によると、応神天皇のとき百済からの渡来人である阿直岐の推挙で王仁が日本...
日本史

渡来人|4世紀から7世紀に文字や仏教の伝来を果たした

渡来人 特に4世紀後半以来に盛んになった中国や朝鮮からの移住者のことをいう。日本が朝鮮への進出が盛んになると、中国・朝鮮出身の渡来人が日本に渡来し、日本の国籍を得た。多くは技術者で喜んで向かい入れられ、鉄器の生産、須恵器という焼き物、...
日本史

国造制|大和朝廷が実施した地方統治体制

国造制 国造制は5世紀から7世紀にはじまった大和朝廷による地方統治体制をいう。各地方の豪族に統治権を認めるかわりに大和朝廷に対して子弟(舎人とねり・靭負ゆげい)・子女(采女うねめとして)出仕、地方特産物や馬、兵、士などの献上を行った。...
日本史

部民制|大和朝廷による統治制度,氏族

部民制 部民制は、皇室や中央・地方の豪族が、それぞれが所有している土地・人民を私有を明確化し、それぞれの身分や役割を区別した制度である。大きく皇室につけられた部民と豪族につけられた部民とわかれるが、基本的にはそれらの管理する領土と民の...
日本史

平将門|新皇を名乗り関東8ヵ国を制した武将

平将門 平将門は、平安時代の武将である。下総国豊田の出身とされているが定かではない。父の遺領をめぐる内紛と、国司と郡司との紛争への介入から関東で兵を挙げ、常陸・下野・上野の国府を武力攻略した。下総の猿島を内裏とし、「新皇」と称して威を...
文学

紫式部|『源氏物語』の作者,清少納言

紫式部 紫式部は、平安時代に活躍した文学者である。主著は『源氏物語』『紫式部日記』。生没年はわかっていない。一条天皇の中宮・彰子に仕えながら書いた『源氏物語』は世界最古の長編小説である。紫式部の日記『紫式部日記』とともに当時の宮廷儀礼...
日本史

菅原道真|文官でありながら右大臣になった公卿

菅原道真 菅原道真は平安時代の公卿である。『類聚国史』を編述した。讃岐国の国士の出身で、後ろ盾を持たない文官(学者)であったが、宇多天皇に信任され、右大臣にまで昇りつめる。遣唐使の中止を進言するなど朝廷内でも存在感があったが、藤原氏の...
日本史

藤原兼家|摂政を争った骨肉の争い,藤原兼通

藤原兼家 藤原兼家(929-990)は平安時代に活躍した公卿である。兄・藤原兼通とは、摂政の地位を争いに破れ不遇であったが、後に娘の詮子が一条天皇を産み、関白・太政大臣となった。 目次 藤原兼家の生誕 摂政・氏長者 ...
日本史

藤原基経|阿衡事件の、政務放棄によって実権を掌握

藤原基経 藤原基経は平安時代に活躍した公卿である。藤原良房の養子となり、人臣初の関白に就任する。宇多天皇との阿衝の紛議の際には、公務を放棄するなどして天皇に圧力をかけ、天皇より力関係があることを内外に示した。 目次 藤...
日本史

藤原良房|藤原冬嗣の意志を継ぐ藤原北家の公卿

藤原良房 藤原良房は、平安時代に活躍した公卿である。藤原北家の躍進の基盤を築いた藤原冬嗣の子で、天皇の外戚として権力を握り、伴・橘・紀氏を排斥して、藤原北家の磐石なものにした。 目次 天皇家の外戚 惟仁親王 応天門...
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