浄土教|南無阿弥陀仏,西方極楽浄土,浄土信仰

浄土教

浄土教とは、念仏を唱えることによって、死んだ後に極楽浄土へと往生する教えである。また、浄土とは、悟りを完成した仏の国土、清情な理想の世界のことをいう。大乗仏教において、浄土を求める信仰が説かれた。諸仏により各種の浄土があるが、阿弥陀仏の国土である西方極楽浄土がもっとも多くの人びとの信仰対象となったので、浄土教といえば阿弥陀仏を中心とした教えをさすようになった。
浄土教は、中国で誕生・発展したが、日本には奈良時代から平安時代にかけて広がり、源信空也が広めた。また、法然(浄土宗)、親鸞(浄土真)、一遍(時宗)も浄土教のひとつである。

目次

浄土信仰

浄土信仰は、浄土を求め、往生を願う信仰である。日本では平安時代末期に、社会的混乱、不作による飢饉、天然痘などの疫病の流行、地震や日照りなどの天災、末法思想の流行により、民衆の間で無常観が蔓延し、浄土信仰が広がった。

西方極楽浄土

西方極楽浄土は、各諸仏の浄土の1つで、阿弥陀仏が住居とする浄土。極楽ともいう。もろもろの苦難や汚れがなく、ただ快楽と消費があふれる仏国土。浄土諸宗における理想の世界で、人びとの往生の願望をかきたてた。

往生

もともとは、この世の命を終わってほかの世の世界に生まれることを指すが、現世を超脱して、阿弥陀仏の極楽浄土に往き、そこに生を享けること。、

阿弥陀仏

阿弥陀仏は、大乗仏教で説かれる諸仏の中で、もっとも重要な仏の一つである。阿弥陀如来、略して弥陀ともいう。サンスクリッ卜語にいうアミタ(無限・無量)に由来し、「限りない光や寿命を持つ仏」をあらわし、無量光仏、無量寿仏とも呼ばれる。かって法蔵菩薩であったとき、一切衆生が救われることを願い、この願いが達せられないうちは自分も仏にならないと誓って修行を重ね、ついに仏となり、西方極楽浄土にあって衆生を救うと伝えられる。この阿弥陀仏を信仰する仏教が浄土教である。

念仏

念仏とは、もともとは心の中に仏を思い浮かべることをさす。仏道修行の基本のひとつ。仏の姿や功徳を心に念ずる観想、念仏、仏の名をとなえる称名念仏(口称念仏)などがある。浄土教では、「南無阿弥陀仏」の六字の名号をとなえる称名念仏により、極楽浄土に往生できることを強調した。

南無阿弥陀仏

阿弥陀仏に帰依するという意味。南無は、サンスクリット語の音にそのままあてはめた漢字で、絶対の信頼をよせて帰依・心服すること。

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