浄土宗
浄土宗とは、法然が浄土教をもとに開いた宗派で、鎌倉時代に生まれた仏教のひとつである。阿弥陀仏の本願を信じ、ただ念仏を唱えることが浄土への唯一の道である専修念仏をその特徴としている。念仏を唱えることで、一切衆生が極楽浄土に往生できるとするという教えは鎌倉時代の争乱と飢饉や天災で苦しむ民衆に広まった。なお、念仏によって極楽浄土に到るという考えは平安時代の源信の浄土教の影響を受けている。
本願
本願とは、阿弥陀仏がその修行のときに立てた、すべての衆生を救済するための誓願のこと。48あり、四十八願ともいう。その内、念仏をとなえた者はすべて阿弥陀仏の住む極楽浄土へ往生させようという第18願がとくに重んじられる。浄土諸宗は、この阿弥陀仏の他力による救いの願い、つまり、他力本願への信仰に基づく信仰である。
専修念仏
専修念仏とは、ほかの一切の修行方法を捨てて、もっぱら念仏「南無阿弥陀仏」をとなえること。仏の名を口にとなえること(称名)は、極楽往生するための唯一の手段として、仏がわれわれ凡夫のために選びとったものであると法然は説いた。法然は念仏のみが極楽浄土へのただ唯一の道としたことで弾圧を受け、流罪になっている。
他力
他力とは、仏・菩薩の救いの力をいう。浄土宗は阿弥陀仏の他力により、必ず浄土へ救われるという他力信仰に立脚するので浄土門と言われる。また、仏の他力を信じ、念仏をとなえるという簡単な行を根本とするので、他力易行門ともいわれる。これに対して、自力の修行で悟りをめざす道は聖道門と呼ばれる。
易行
易行とは、阿弥陀仏の救済という、他力によって悟りを得ること。修行して、自力で悟りを開くことをめざす難行と対比される。法然は『選択本願念仏集』で末法の世の人びとが難行道によって悟りを開くのはきわめて困難であり、易行こそが末法の世にふさわしい教えであると説いている。
聖道門・浄土門
浄土宗では、多くの人々にとって聖堂の道(自力で修行を積み悟りを目指す方法)の実行は不可能である。聖堂の道ではなく、易行の道である浄土門(極楽浄土を求めて念仏を繰り返す)をすすむべきで、もっぱら念仏唱え続けていくことによって救いを求めるべきであるとした。