部民制
部民制は、皇室や中央・地方の豪族が、それぞれが所有している土地・人民を私有を明確化し、それぞれの身分や役割を区別した制度である。大きく皇室につけられた部民と豪族につけられた部民とわかれるが、基本的にはそれらの管理する領土と民の職能や職業を示す。6世紀になると、多くの部が新しく編成されたが、それによって、中央の経済力を高め、豪族の支配権を国家に吸収して、地方への支配を強化した。
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屯倉
屯倉(みやけ)は、朝廷の直轄領をさす。天皇の本拠である大和地方を中心とする固有の直領地に加えて、5世紀の河内平野を中心とした開拓事業の結果、設置された土地や、地方から領地を献上させた土地も含まれる。
田荘
田荘(たどころ)は豪族の直轄領である。田畑やそれに準ずる道具、母屋一般をいう。
部民
部民(べみん)は朝廷や豪族が所有としている民であり、労働力や生産物を提供していた人々である。朝廷に属する田部(たべ)・品部(ともべ)のほか、豪族に属する部曲(かきべ)があった。部曲(かきべ)については、貢納・賦役の義務を負うが、独立性は担保しており、奴(やっこ)(奴隷)よりは扱いはよかったと考えられている。
部
部(べ)は百八十部(ももあまりやそとものお)と呼ばれ、その種類は多岐にわたる。まず朝廷が新しく獲得した私有民や高い技術をもっていた渡来人を部に組織して、貢納・賦役を負担させた。諸豪族もそれと同じように私有民を部に組織するようになった。
品部
品部は伴造のもとで特定の職掌をもち、専門的な労働や生産物を提供した。
- 手工業生産:玉造部(たまつくりべ)・陶部(すえべ)・土師部(はじべ)・鍛治部(かぬちべ)・弓削部(ゆげべ)・錦織部(にしごりべ)
- 軍事:舎人部(とねりべ)・靫負部(ゆげいべ)
- 祭祀:中臣部・卜部(うらべ)・忌部
- 文筆:文部(あやべ)・史部(ふひとべ)
田部
田部は屯倉に属した屯田の耕作にあたり、国造の監督下に置かれた。
名代・子代
名代・子代は、『日本書紀』は、天皇や皇族にたいし、その名を後世に伝えるために置かれた。実際は皇室の私有民だったと考えられている。