ドイツ観念論|フィヒテ,シェリング,ヘーゲル

ドイツ観念論(ドイツ理想主義)

ドイツ観念論とは、18世紀後半〜19世紀はじめにドイツで盛んになった哲学の思想運動の総称。理想主義。フィヒテシェリングヘーゲルがその代表者である。カント批判哲学フランス革命の影響から壮大な一元論的形而上学の体系が打ち立てられていった。観念論は,精神的なものを世界の根源的な実在とする立場である。観念論は、あらゆる現実の根底に精神的実在があり、その精神的なものが理念(イデー)として、自然や歴史を通じて自己実現すると考える。人間の意識は,精神的な理念が自覚的に自己実現する契機であり、人問の理性を自覚の契機として精神的実在(理念・絶対者)が自己を展開する。
しかし、1831年のヘーゲルの死後、ドイツ観念論の影響力は急速に衰える。ドイツ観念論の説く普遍的な理性原理に対抗して、キルケゴールが「個人的実存」を、ショーペンハウアーが「盲目的な意志」を、マルクスが「物質主義」をかかげた。また産業社会とテクフロジーの発展とともに、実証主義が力を得るように至る。

当時のドイツの状況

イギリスやフランスが近代化を進めているのに対して、当時のドイツでは封建的な習慣が残り、産業の育成や軍事力の強化がなされていなかった。市民の政治的経済的自由は制限され、市民は内面的自由や人間の尊厳について思索を巡らせた。その状況下でカントをはじめドイツ観念論やロマン主義の芸術家が生まれた。彼らの思索は、実存主義や共産主義など、19世紀以降の思想に大きな影響を与えた。

弁証法

ドイツ観念論の共通点は、体系の基礎に能動的な原理を見出すところにある。すべての存在は運動の原理をひめており、自らも常に運動している。この原理は人間の理性によってとらえうるものであり、この理性原理とその運動法則が「弁証法」 と呼ばれる。

フィヒテ

ドイツ観念論は、フィヒテとともに始まる。フィヒテは意識的にカントに自分を結びつけるが、しだいにカントを超えていき、精神の自発性という原理を全面的に受け入れるようになうる。フィヒテは端的に確実な知識である「私(自我)」を出発点に彼の思想が展開される。 「私」は自分がなにかであるためには、常にみずからをなにかとして投げ企てなければならない。彼の「全知識学の基礎」(1794)は、この能動的な「自我」を原理として、それがあらゆる知識の基盤として世界を作りあげ、そこにみずからを発見していく過程を記述する。

シェリング

シェリングにとっての原理は、「自然」という無意識的な生産力であり、人間もそのひとつの所産にすぎない。彼の自然哲学は『自然哲学の理念』 (1797)や『世界霊について』(1798)で展開される。さらにシェリングは、「超越論哲学の体系」(1800)で「精神哲学」を展開し、『私の哲学体系の叙述』(1801)では、あらゆる対立を超えた「絶対的に無差別なもの」の原理とする「同一哲学」を提唱した。

ヘーゲル

ドイツ観念論はヘーゲルによって完成する。ヘーゲルによれば、「絶対者」はシェリングがいうような「無差別なもの」ではない。むしろ、「絶対者」そのものが区別を生みだし、その区別のうちにふたたびみずからをみいだすような活動でなければならない。 そして、この活動の本来的舞台が人間の歴史である。彼は『精神現象学」(1807)で、人間が絶対者を意識する過程を追跡し、『歴史哲学講義』では、古代ギリシアからプロイセン国家までの長い旅のすえに、ついに絶対者がこの世界に実現される 過程を叙述する。

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