批判哲学|カント

批判哲学

批判哲学とは、カントの哲学の立場をさし、人間の認識能力がおよぶ範囲と限界を明らかにするために、理性の能力をし、検討するものである。カントの主著『純粋理性批判』において、純粋理性の批判が展開されるが、その時、批判されるものは、この理性の限界とその範囲であることがいえる。理性の能力がおよぶ範囲を的確に見きわめ、その範囲の中で理性が対象を認識できる正当な根拠や権限を明らかにすることがカントの哲学の中心となる。
また、このことはカント自身がイギリスの哲学者ヒュームによって「独断のまどろみ」からさめたというように、当時主流であったドイツ観念論や形而上学、ニュートン力学がヒュームによって否定されたのをきっかけに批判的にあつかったことからも批判哲学と言われる所以である。

批判哲学

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物自体

カントの認識論において、人間の理性の限界(知ることができる範囲)は、目や耳などの感覚に与えられた現象だけである。実際、そのものそれ自体(物自体)は知ることはできない。リンゴそれ自体の色・形・香りなどが実際はどうなっているかはわからず、認識することが不可能である。

カテゴリー

人間は、感性に与えられた多様な現象に、知性の認識の枠組み(カテゴリー)をあてはめて一定の対象を構成する。つまり、リンゴを見たり触ったり臭いを嗅いだりするだけでは、リンゴを感覚で捉えるだけである。リンゴをリンゴとして色や形。香りなどを理解するためには、知性がなければならない。カントは知性をカテゴリーとしてその枠組を考えた。

合理論と経験論

カントは、理性で考える合理論のみでは、空虚な推理におちいって独断論になり、感性にたよる経験論のみでは感覚の無秩序さに迷って真理を否定する懐疑論におちいるとし、合理論経験論のどちらか一方を採用するのは退けた。カントは、素材となる現象を受け取る感性の経験と、それらを対象へと組み立てる知性の思考(カテゴリー)が合わさって認識が成り立つと考え、合理論経験論を総合したことにカントの偉業がある。カントは、対象の認識の範囲を経験的な世界に限定し、経験をこえた神や永遠などについて思弁する伝統的な形而上学は不可能であるとした。しかし、このような形而上学や神や永遠は、希望や信仰の対象であるとして『実践理性批判』で説かれることになる。

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