フリードリヒ・シェリング|思想と哲学

フリードリヒ・シェリング Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling

シェリング(1775.1.27 – 1854.8.20)は、ドイツ観念論の哲学者。主著は、『先験的観念論の体系』、『人間的自由の本質』。学識の深いルター派聖職者の家庭で生まれた。若い頃から哲学的才能を発揮し、15歳でチュービンゲンの神学校に入学する。そこで詩人のへルダーリンや哲学者へーゲルと親交を結ぶ。その後、イエーナ大学の教授となる。啓蒙思想に批判的なロマン主義の芸術家たちとの交際はシェリングの哲学や思想にも大きな影響を与えた。
シェリングは哲学における自然と精神、あるいは主観と客観の二元的対立を統一するために、すべてを包括する絶対者を求める客観的観念論の立場に立つ。(客観的観念論)そして、すべてのものの根底に存在する無差別な同一性としての絶対者を説く同一哲学を確立した。
そして、絶対者は自然や芸術作品の観賞を通して、神秘的な知的直観によって把握されるとし、芸術哲学を重んじて、ロマン主義の傾向を示した。
晩年は、神話や啓示の哲学に取り組み、人間の自由や悪の非合理的な面にも注目した。また、観念の中で物の本質を考える消極哲学に対して、物の現実的な存在(実存)を探究する積極哲学を説き、実存主義の先駆けともされる。

シェリングの生涯

1775年 生誕
1798年 『世界霊について』。イェーナ大学教授に就任
1799年 『自然哲学体系の第一草案』
1800年 『超越論的観念論の体系』
1840年 ベルリン大学教授
1854年 死去

第一期 自然哲学の時代

第一期は自然哲学の時代と呼ばれる。シェリングは西洋の死せる自然観(人間のみが魂を持ち植物や動物は持たない、デカルトの動物機械論への反発を持ち、それに対し生ける自然観を提唱する。シェリングによれば自我の前にまず、自然が先行する。自然は自らのうちに産出力を秘めており、自分で自分を生み出す。自然は普遍的な有機体である。その根本において、生命であり、また精神現象である。そして、こうした自然によって自我が生み出された。我も非我も絶対我の所産であり、従って自然は非我と対立する意味での所産ではない。むしろ我と非我を内含する神の所産である。
自然の諸現象は、我々の意識の中に活動するところの同一の神の現れである。ただ自然が神の精神に無自覚であるのに対し、人間は自覚的であるという差があるのみである。

弁証法的発展

精神は自然の進化の所産であるならば、では、自然はいかに進化するのか。そこでシェリングはこの自然の産出力を弁証法の方法によって生み出されるとする。自然は一なるものが、二つの反対に分かれ、それがまた、一なるものに結合しようとする努力によって発展する。たとえば、電気の+と-、磁石の+と-、酸とアルカリ、雄と雌などが挙げられる。この原理によって、自然は〈物理的段階→科学的段階→有機的段階〉とされる。精神の段階にくると自然哲学が終わって、精神哲学が始まる。ここで自然(シェリングの自然哲学)と精神(フィヒテの知識哲学)の両哲学によって世界観が得られるに至る。

したがって、生気なき自然と呼ばれるものは未熟な知性にほかならない。つまり、まだ無意識的な形式をとってではあるが、知的性質はすでにその現象のなかに浸透しているのである。自然の究極目的は自己自身に対して全面的に客観となることであるが、自然は最高度のかつ最終的な自己反省によってのみこの目的に到達する。その目的とは、・・・人間、即ち・・・理性である。

第二期 先験哲学・美的観念論の時代

第二期の哲学は、先験哲学・美的観念論の時代といわれる。フィヒテを脱し、科学・道徳・美術を三代段階となした。自然はその頂点にあって、精神を産出し、精神はその最高の段階として芸術を産出する。

第三期 同一哲学の時代

第三期は同一哲学の時代と呼ばれる。シェリングは、フィヒテの同一哲学を批判することによって、シェリング自身の絶対者(同一)を立てる。同一とは、自然と精神がその起源に同一である、ということからきており、スピノザの影響を受けている。精神と自然が互いに反響しあい、相互に影響し合うとすればその両者は共通の根拠を持たなければならないし、また同一の原初的活動から生じるのであるねばならない。この両者に共通する原理はそれ自体主観的でもなければ、客観的でもなく、意識的精神でも自然でもない。

絶対者

絶対者は、主観的なるものと客観的なるものとの同一性である。自我と非我を超越したもの、我・非我、精神、自然、客観などの同一もしくは、無差別でなければならない。万物は絶対者の現れであり、絶対者のもつ同一性は万物いたるところによって見られる。精神と自然は絶対社の啓示の二つの契機あるいは様式にすぎないのだから、精神と自然は実在的な対立を構成するものではない。従って程度の違いはあるが、あらゆる現象のうちに表現されている。

第四期 自由問題研究の時代

この時代は弁証法にこだわらず、様々な問題、特に神話やキリスト教、神秘主義の研究から人間や歴史の神の秘密について研究を行った。この時期になれば、哲学というよりも詩人に近い。
シェリングは、生命と人格を有する神を打ち立て、神は、それ自身の神ならざるものを所有することによって、人格神となる。神は悪を含むことによって、自己発展をなし、そこに生命があり、自由が出てくる。人間もまた、こうした神の不調和に起因する。

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