新三民主義
新三民主義は、1924年に中国の革命家孫文が提唱した三民主義の新しい解釈であり、中国革命の進むべき路線を示した政治思想である。帝国主義列強の侵略と軍閥割拠が続く中国で、ソ連との提携、共産党との協力、労働者・農民の支持獲得を重視した点に特色がある。これは従来の三民主義を基礎としつつ、「聯俄・容共・扶助工農」という具体的な革命戦略として提示され、第一次国共合作や国民政府の樹立に大きな影響を与えた。
成立の背景
新三民主義が生まれた背景には、辛亥革命後も続いた軍閥混戦と半植民地状態がある。1911年の革命で清朝は倒れたが、中国は依然として列強の勢力圏に分割され、国内では軍閥が割拠していた。孫文は従来の三民主義だけでは革命が不徹底に終わったと反省し、より広い大衆を基盤とする革命路線を模索するようになった。またロシア革命の成功とソビエト政権の成立は、反帝国主義・反封建を掲げる新しいモデルとして中国の革命家に強い影響を与えた。
五四運動とソ連接近
1919年の五四運動を経て、中国の民族運動には学生・労働者・商人など都市民衆が本格的に参加するようになった。孫文はこの新しい大衆運動の力に注目し、都市と農村の民衆を組織してこそ、真の民族革命と社会革命が達成できると考えるようになる。その中で、同じく反帝国主義を掲げるソ連との提携構想が具体化し、1923年の孫文=ヨッフェ共同宣言によって、中国とソ連の協力関係が公式に確認された。
中国国民党一全大会と三大政策
1924年の中国国民党一全大会は、新三民主義を理論的支柱とする党の路線転換の場となった。この大会で中国国民党は、ソ連の援助と指導を受けつつ、幹部・軍隊・大衆団体を再編成することを決定する。ここで打ち出された三大政策こそ、「聯俄・容共・扶助工農」であり、新三民主義を具体的な政治路線として表現したものであった。
スローガン「聯俄・容共・扶助工農」
- 聯俄:対等な立場でソ連と提携し、帝国主義列強に対抗する反帝国主義の路線を意味する。
- 容共:中国共産党員の中国国民党への入党を認め、国民革命のために両党が協力する方針を示す。
- 扶助工農:労働者・農民など被抑圧階級の利益を擁護し、土地問題や労働条件の改善を通じて革命の大衆的基盤を固めることを目指す。
従来の三民主義との違い
新三民主義は、民族・民権・民生を掲げる従来の三民主義を完全に否定したわけではないが、その内容を反帝国主義と反封建の観点から再解釈した点に特徴がある。民族主義は「満清打倒」から列強の支配を排除する対外的自立へと重点が移り、民権主義はブルジョワ共和制にとどまらず、労働者・農民を含む各階級の政治参加を強調するようになった。民生主義についても、小作農救済や土地再分配など、社会主義に接近した政策が色濃くなったといえる。
第一次国共合作への展開
新三民主義を理論的基盤とする三大政策は、第一次国共合作を通じて具体化した。国民党と中国共産党は共同で大衆組織を拡大し、農民運動や労働運動を推進しながら軍事力を整備した。この体制のもとで進められた北伐は、軍閥勢力を打倒し、中国統一を目指す大規模な軍事行動であり、その思想的支柱にも新三民主義が位置づけられた。
歴史的意義
新三民主義は、民族革命と社会革命を結びつけ、都市と農村、ブルジョワジーと労働者・農民の連合を前提とした革命戦略として構想された点に重要性がある。その理念は、国民政府の中国統一過程を支えただけでなく、のちに連ソ容共扶助工農というスローガンとして記憶され、中国革命史のなかで評価されてきた。また毛沢東ら中国共産党指導者は、孫文の新三民主義を一定程度継承しつつ、自らの「新民主主義論」を展開したとされ、国共両陣営の理論的対話の基盤となった点でも歴史的意義が大きい。