国民政府の中国統一
国民政府の中国統一とは、1920年代後半に中国国民党の指導する南京国民政府が、軍閥割拠状態にあった中国を名目的ながら一つの中央政権のもとに再編成した過程をさす。広東に成立した革命政権が、北伐戦争を通じて華中・華北へ勢力を拡大し、最終的に北京政府を打倒して全国政府として承認されることで、辛亥革命以後続いた不安定な政治状況に区切りをつけた出来事である。この統一は、その後の南京国民政府体制や日中戦争、中国内戦の前提を形づくる転換点となった。
背景:辛亥革命後の軍閥割拠
1911年の辛亥革命によって清朝が崩壊すると、中華民国は成立したものの、権力は北洋軍閥を基盤とする北京政府と各地の軍人勢力に分裂し、いわゆる軍閥割拠の時代に入った。中央政府は名ばかりで、実際には地方軍閥がそれぞれ独自の軍事・財政基盤をもち、内戦を繰り返した。この状況を打破し、全国的な統一共和国を樹立するという構想を掲げたのが、孫文に率いられた中国国民党であり、彼は広東に革命政府をつくって北伐による統一を構想した。
第一次国共合作と広東国民政府
1920年代前半、孫文はソ連の援助を受けて党の組織を再編し、中国共産党との第一次国共合作を実現した。黄埔軍官学校の設立など、近代的な幹部養成も進められ、ここから後に国民党軍の中枢となる将校が育成された。こうして広東に成立した革命政権は、形式的には北京政府に対抗するもう一つの中央政府であり、武力による全国統一の準備段階として位置づけられた。
北伐の開始と華中制圧
1926年、蒋介石を中心とする国民革命軍は、長期構想であった北伐を開始した。まず湖南・湖北方面の軍閥を打倒し、長江流域の要地である武漢や南京・上海に進出した。北伐軍は反帝国主義と統一のスローガンを掲げ、都市の労働者・学生・商人層の支持を得ながら勢力を拡大していった。一方で、各地の軍閥の中には、国民党との妥協や編入を通じて自らの地位を温存しようとする勢力もあり、戦争は軍事行動と政治交渉の双方をともなって進行した。
国民党内部の分裂と南京国民政府の成立
北伐の進行とともに、国民党内部では左派と右派の対立が深まり、共産党勢力の扱いをめぐる路線対立が顕在化した。1927年、蒋介石は上海で共産党勢力を武力弾圧し、国共合作は崩壊する。この上海クーデターを契機に、武漢を拠点とする左派政権と蒋介石の率いる南京政権が併存する状態となったが、最終的には南京側が主導権を握り、同年中に「国民政府」を名乗る中央政権としての体裁を整えていった。この政権が後に南京国民政府と呼ばれる体制である。
北京政府の崩壊と形式的統一の完成
華中を掌握した国民政府は、続いて華北の主要軍閥への圧力を強めた。華北を支配していた奉天軍閥の首領張作霖は、日本の支援を受けつつも、北伐軍との対決を余儀なくされる。1928年、撤退途上の張作霖が日本の関東軍によって列車爆破で暗殺された事件は張作霖爆殺事件として知られ、その後継者である張学良は情勢の変化を受けて南京国民政府への服従を表明した。これにより、奉天を中心とする東三省も名目上は南京政府の統治下に入り、中国全土で国旗が統一される「易幟」が行われた。ここに、辛亥革命以来続いた複数政権並立の状況は終わり、国民政府による全国統一が達成されたとみなされる。
軍閥勢力の温存と統一の限界
しかし、この統一はあくまで名目上のものであり、旧軍閥勢力の多くは国民革命軍に編入されながらも、各省で強い自立性を維持した。財政・徴税権や軍隊指揮権は中央と地方で折衝が続き、中央政府の統治力は限定的であった。また、満洲地方では日本の関東軍が強い影響力を残しており、その後の満州某重大事件に象徴されるように、日本の軍事行動が中国の主権を大きく侵害していく。さらに、北伐直後には中原大戦など国民党内部および旧軍閥間の内戦も続き、安定した統一国家の形成は容易ではなかった。
国際的承認と不平等条約改定への道
それでも、国民政府が中国を代表する唯一の中央政府として国際的に承認されたことは重要であった。各国は次第に北京政府との外交関係を解消し、南京政府との条約改定交渉に応じるようになった。関税自主権の回復や治外法権の整理といった不平等条約改定の取り組みは、統一政権の成立によってはじめて現実味を帯びたのである。この過程では、列強の中国政策や日中関係、さらには山東出兵や済南事件のような対外衝突も密接に関連し、国民政府は内政と外交双方で難しい舵取りを迫られた。
歴史的意義
国民政府の中国統一は、軍事的勝利と政治的妥協を通じてようやく達成された「革命の一段階の完成」であった。統一の限界を抱えつつも、中国に単一の中央政府を打ち立てたことは、その後の近代国家建設の前提を用意し、同時に国民党一党支配体制と反対勢力の対立構図を決定づけた。日中戦争や国共内戦によってこの体制は大きく揺らぐが、1920年代後半の統一過程は、近代中国史を理解するうえで不可欠の転換点として位置づけられている。