東三省
東三省とは、中国東北地方に位置する奉天省・吉林省・黒竜江省の総称であり、近代中国史、とりわけ満洲の政治・軍事・経済を語るうえで欠かせない地理概念である。これら三省は、近世には満洲族の故地として清皇室の直轄的な支配下に置かれたが、近代に入ると列強の進出と漢人移民の増加により急速に開発が進み、中国国家の行方を左右する戦略的地域となった。清末から中華民国期、さらに日本の進出と満洲事変、満洲国の成立、そして中華人民共和国期の行政区画の再編にいたるまで、東三省は一貫して東アジア国際関係の焦点として位置づけられる。
地理的範囲と三つの省
東三省を構成する三省は、奉天省・吉林省・黒竜江省である。奉天省はのちに遼寧省と改称され、渤海に面した交通の要衝であり、大連・旅順や瀋陽(旧奉天)を含む地域として知られる。吉林省はその北方に広がり、長春を中心とする平原地帯と山地を含む。さらに北の黒竜江省はアムール川(黒竜江)流域に及び、ロシア帝国・ソ連と国境を接する安全保障上重要な辺境地域であった。これら三省をまとめて指すことで、単なる一行政単位ではなく、北方防衛と資源開発を担う広大な辺境フロンティアとしての性格が強調されたのである。
清朝期の東北辺境と開発
清朝の前身である女真・満洲族の故地は、のちに東三省と呼ばれる地域に広がっていた。このため、初期の清は漢人の大規模移住を制限し、皇室直轄の「禁地」として維持しようとした。しかし一方で、ロシア帝国との国境画定や対外貿易の拡大、財政基盤の強化のため、19世紀後半から徐々に漢人農民の入植が黙認・奨励され、東北開拓が進行した。東北鉄道網の整備や都市の発展は、この地域を中国内地と結びつけると同時に、列強の勢力争いの舞台とする要因ともなった。
辛亥革命と中華民国における東三省
1911年の辛亥革命によって清朝が崩壊し、中華民国が成立すると、東三省は形式上、共和国の一部として組み込まれた。ただし、現実には地方軍事勢力が強大な権力を握る軍閥時代に入っており、北京の中央政府が三省を一元的に統治することは困難であった。とりわけ奉天省を拠点とする軍事勢力は、豊かな資源と鉄道・港湾を背景に他地域に対して優位な交渉力を持ち、中国政治全体に大きな影響力を及ぼした。
奉天軍閥と列強の進出
20世紀初頭、奉天省を拠点とした奉天軍閥は、張作霖を中心に台頭し、華北の政争に積極的に介入した。日露両国は、日露戦争後に東北における勢力圏を整理しつつも、この地域を鉄道・鉱山・港湾権益の確保という観点から重視し続けた。南満州鉄道や各種利権は、三省の行政と切り離された半植民地的な経済構造を生み、奉天軍閥は列強との協調と対立を繰り返しながら権力基盤を維持した。こうして東三省は、中国内政問題であるとともに国際政治問題としても扱われるようになった。
日本の進出と満洲事変
1931年の満洲事変は、東三省の政治的運命を大きく転換させた。関東軍は柳条湖事件を口実に三省全域を軍事的に制圧し、1932年には満洲国を樹立して国際社会に対し独立国であると主張した。形式上は各省を基礎としながらも、新国家の行政区画再編が進められ、三省は日本の勢力圏の中核として位置づけられた。この支配はのちの日中戦争へとつながり、中国全土を巻き込む長期戦争の前段階として歴史上大きな意味を持つ。
社会構成と経済発展
東三省の社会構成は、満洲族・漢族・モンゴル系住民・朝鮮人移民など多様な民族から成り立っていた。清末から民国期にかけて、山東など華北からの漢人移民が急増し、農業開墾が進んだ。同時に、鉄道沿線を中心に鉱山開発や重工業が発展し、東北地方は中国における近代工業の重要拠点となった。これらの変化は、土地所有や労働条件をめぐる対立を生み出し、農民運動や労働運動、さらには民族問題を含む複雑な社会矛盾を形成した。
中華人民共和国成立後の行政区画
1949年に中華人民共和国が成立すると、東三省の行政区画は「東北地方」の一部として再編された。奉天省は遼寧省へと改称され、吉林省・黒竜江省とともに現在に続く省区画の基礎となった。新政権は旧軍閥や列強の残した利権構造を解体し、国有化と計画経済の枠組みのもとで重工業基地としての性格を強めていく。こうして歴史用語としての東三省は徐々に行政用語としての「東北三省」へと受け継がれつつも、その背後には清朝以来の辺境支配、列強の侵入、革命と戦争という重層的な歴史経験が刻まれ続けている。
用語としての「東北」「東三省」
現代中国語において「東北」と言う場合、一般に遼寧・吉林・黒竜江の3省を指し、しばしば歴史的な表現として東三省という語も用いられる。歴史学では、この語は清末以降の政治・軍事・外交史の文脈で頻繁に登場し、満洲問題や列強の対中政策を理解する際の鍵概念となっている。したがって東三省は、単なる地理的呼称を越えて、中国近代史における国家建設と主権をめぐる攻防を象徴する語として位置づけられているのである。