中華民国|近代中国の誕生と変遷

中華民国

中華民国は、清朝の崩壊後の1912年に成立した共和制国家であり、アジアで最初の近代的共和国とされる国家である。辛亥革命によって清朝が倒れ、南京に臨時政府が樹立されたのち、北京政府期、軍閥割拠期、南京国民政府期、日中戦争、国共内戦を経て、1949年以降は台湾を統治する政権として存続している。現在の世界史・中国史では、1912年以降の中国近代史を語る際の中心概念となっている。

辛亥革命と建国

中華民国の成立は、1911年の辛亥革命に始まる。革命派を指導した孫文は南京で臨時大総統に就任し、清朝最後の皇帝溥儀の退位により1912年に清帝国は正式に終焉した。しかし実権は北洋軍閥を率いる袁世凱に移り、首都も北京に置かれた。袁政権は議会と憲法を軽視し、中国国民党を弾圧して独裁化を進め、皇帝即位を試みたことで各地の反発を招き、やがて崩壊した。

軍閥割拠と南京国民政府

袁世凱の死後、中華民国は北京政府の名目上の統一を保ちながらも、実際には各地の軍閥が割拠する状態に陥った。南方では孫文が広東に拠点を築き、ソ連の支援を受けて国民党を再編し、中国共産党との合作を進めた。1926年からの北伐によって軍閥勢力を次々と打倒し、1927年以降、南京に国民政府が樹立され、蒋介石を中心とする「南京国民政府」の時代となった。この時期、関税自主権の回復や産業の近代化、都市の整備が進んだ一方、農村の貧困や地域格差は大きく残された。

日中戦争と第2次世界大戦

1930年代になると、日本の中国侵略が激化し、1937年の盧溝橋事件を契機に全面的な日中戦争が始まった。首都南京は日本軍に占領され、南京事件などの惨禍が生じたため、国民政府は重慶へと遷都して抗戦を続けた。戦争は第2次世界大戦の一部となり、アメリカ合衆国やイギリス、ソ連などと連合して戦うことになったが、長期戦によって国家財政と社会は極度に疲弊した。

国共内戦と台湾への移転

1945年の日本敗戦後、中華民国政府は台湾の統治を引き継いだが、国民党と中国共産党の対立は再び内戦へと発展した。内戦では共産党軍が優位に立ち、1949年に北京で中華人民共和国が成立すると、国民政府は台湾へ撤退した。以後、台北は中華民国の「臨時首都」とされ、政府は中国全土の正統政府であると主張し続けたが、国際社会では次第に北京政府が「中国」の代表と認められるようになり、1971年には国連代表権も移った。

政治体制と三民主義

  • 中華民国は五権分立を特徴とする憲法体制を採用し、行政・立法・司法に加え、考試院・監察院を設けた。
  • 国民党一党支配と戒厳令の下で長く権威主義体制が続いたが、台湾では1980年代以降、選挙の自由化と複数政党制を通じて民主化が進んだ。
  • 建国理念として三民主義(民族・民権・民生)を掲げ、民族独立、民主政治、民生の向上を目標とした点に近代中国思想史上の特色がある。

名称と歴史的意義

中華民国という名称は、辛亥革命によって清朝に代わって成立した共和政国家と、その後台湾で存続する国家を指す。大陸に成立した中華人民共和国と区別するため、歴史叙述では「南京国民政府期」「台湾期」などと分けて用いられることが多い。中国革命と華僑の運動や利権回収運動と結びつきながら帝国主義体制に挑戦した点で、近代アジアの民族運動の先駆的事例であり、現在の台湾政治の成り立ちを理解する上でも不可欠な歴史概念である。