ティラク
ティラク(Bal Gangadhar Tilak、1856年−1920年)は、イギリス植民地支配下のインドで活動した民族主義指導者であり、「ロークマーニャ(民衆に認められた者)」と呼ばれた人物である。彼は急進派の国民会議派指導者としてスワデーシー(国産品愛用)とスワラージ(自治)を掲げ、後のガンディーらによる独立運動の思想的基盤を形づくった。
生涯と社会的背景
ティラクは西インドのマハーラーシュトラ地方に生まれ、伝統的なヒンドゥー教育と近代的な英語教育の双方を受けた。若くして学校を設立し、民族意識を喚起する教育活動を行ったのち、新聞発行を通じて植民地支配を批判した。彼は宗教的祭礼を政治集会として組織し、ヒンドゥー教の行事を利用して民衆を動員することで、日常生活と政治運動を結びつけた点に特色がある。
民族主義運動とスワデーシー
ティラクは、インド人による自治を実現するには穏健な請願運動だけでは不十分であると考えた。そのため英国製品の不買と国産工業の育成を結びつけたスワデーシー運動を唱え、都市の商工業者や農民の参加を促した。とくにベンガル分割令への抗議運動では、国民的なボイコットや集会を支援し、民族意識の高揚に大きな役割を果たした。
国民会議派内部の対立
20世紀初頭のインド国民会議では、議会での発言や請願を重視する穏健派と、抵抗運動を主張する急進派が対立した。その急進派の中心がティラクであり、彼はナオロジーら穏健派の方針を批判して、ストライキやボイコットを手段とする大衆運動を提起した。この対立はスーラト大会での分裂に至り、インド民族運動の戦術と路線をめぐる大きな転換点となった。
弾圧と投獄
カーゾン総督期以降、イギリス当局は急進化する民族運動を危険視し、治安法規を用いて指導者を弾圧した。植民地政府はティラクを暴動の扇動者とみなして逮捕し、長期投獄や国外追放に処したが、そのことはかえって彼の名声を高め、「犠牲をいとわぬ指導者」というイメージを広めた。彼は獄中や亡命先でも執筆を続け、宗教と歴史を通じて民族の誇りを説いた。
思想と評価
ティラクは「スワラージは生まれながらの権利であり、与えられるのを待つものではない」と主張し、自己犠牲と行動を伴う民族運動を説いた。その思想はのちのガンディーやネルーにも影響を与えたが、宗教祭礼を通じた動員に重きを置いたため、ヒンドゥー教徒中心の色彩を帯び、イスラーム教徒との協調には限界もあった。それでもなお、彼が大衆レベルでの政治参加を促し、近代インド民族主義を大きく前進させたことは高く評価されている。
- インドのイスラーム教徒との関係や宗派対立の問題
- 宗教的動員を担ったヒンドゥー教徒指導者との比較
- 同時期における三民主義や中国同盟会などアジア諸地域の民族運動との連関