ナオロジー|新たな思想の枠組み

ナオロジー

ナオロジー(Dadabhai Naoroji, 1825〜1917)は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍したインド民族運動初期の指導者であり、のちにインド人として初めてイギリス下院議員となった政治家である。ボンベイ出身のゾロアスター教徒(パールシー)として、英語教育を受けた知識人層を代表し、イギリスによる支配を経済的観点から批判する「富の流出」論を唱えた点で知られる。彼の活動は、インド帝国統治下におけるインド民族運動の出発点を示し、のちのガンディーらの運動に理論的基盤を与える役割を果たした。

生い立ちと教育的背景

ナオロジーは、1825年にボンベイ(現在のムンバイ)でゾロアスター教聖職者の家系に生まれた。パールシー社会はヨーロッパ商人やイギリス支配にも早くから関わった共同体であり、その中で彼はエルフィンストン・カレッジに学び、数学や自然哲学の助教授・教授を務めるなど、高等教育を受けたインド知識人の代表的存在となった。こうした経歴は、西欧勢力の進出とインドの植民地化のなかで形成された近代的教育制度と、植民地官僚・商人社会に接続するエリート層の典型例といえる。

商業活動とロンドンでの政治運動

大学での教職の後、ナオロジーはボンベイの実業界に進出し、商社のロンドン支店長としてイギリスに渡航した。ロンドン滞在中、彼はイギリス社会におけるインド理解の欠如に強い問題意識を抱き、イギリス人自由主義者らと協力して「東インド協会」を組織し、インドの政治・経済・社会問題を本国世論に訴え始めた。この試みは、イギリス東インド会社解散後に本国政府が直接支配を強めたインドとの関係を問い直す運動として位置づけられ、帝国議会におけるインド問題の議論の土台となった。

インド国民会議と穏健派指導者としての役割

19世紀後半、植民地統治下のインドと大反乱セポイの乱などを経て、インドでは知識人層を中心に立憲的な自治を求める政治運動が高まり、1885年にインド国民会議(インド国民会議派)が創設された。ナオロジーはその創設メンバーの一人であり、1886年、1893年、1906年の3度にわたって議長を務めたとされる。彼は請願や議会内活動を重視する穏健派の代表として、イギリス支配の即時打倒ではなく、漸進的な自治拡大を求める路線を主張し、植民地統治下での制度内改革を志向した。この穏健派路線は、のちに急進派の登場や反帝国主義運動の高揚によって批判されつつも、国際的諸運動の進展の一部として、帝国体制内部から変革を迫る典型例とみなされる。

「富の流出」論とイギリス支配批判

ナオロジーの最大の理論的貢献は、イギリス支配の下でインドの貧困が深刻化している原因を、「富の流出」(drain of wealth)として分析した点にある。彼は、インドで徴収された歳入の相当部分が官僚給与や軍事費、配当金などの形で本国に送金され、インド国内に再投資されない構造を批判した。この議論は、イギリス産業革命とインドにおいて綿工業や交通網の整備がインドを原料供給地・市場として組み込む仕組みと結びつき、インドの貧困や飢饉が単なる「後進性」の結果ではなく、植民地的経済構造の帰結であることを示したものであった。1901年刊行の著書『インドにおける貧困と非イギリス的支配』は、この「富の流出」論を体系的に提示し、のちのインド民族運動に強い影響を与えた。

イギリス下院議員としての活動

1892年、ナオロジーはロンドンの選挙区から自由党候補として立候補し、インド人として初めてイギリス下院議員に当選した。これは、インド統治法によって本国が直接統治を行うようになったインド帝国体制のもとで、植民地出身者が本国議会に代表を送り込んだ画期的な出来事であった。議員としての彼は、インド人官吏の登用拡大、公正な税制、教育・司法制度の改善などを訴え、インド人が自国の統治に参加する権利を主張した。また、議会内外での演説や刊行物を通して、インドにおける貧困や飢饉の深刻さを訴え、本国世論に帝国支配のあり方を問いかけた。

インド社会・世界史における位置づけ

ナオロジーは、宗教的には敬虔なゾロアスター教徒でありながら、ヒンドゥー教徒やムスリムとも協調しうる世俗的な政治理念を掲げ、宗教・民族を超えたインド人の統一を重視した。また、女性教育の推進や社会改革への関心も深く、都市中産階級を基盤とする近代的ナショナリズムの典型的指導者と評価される。彼の穏健な立憲主義的路線は、のちにガンディーやティラクらが展開した大衆的な民族運動とは性格を異にするが、シパーヒーの反乱やイギリスのインド植民地支配(19世紀前半まで)を背景とする初期ナショナリズムの段階を代表している。さらに、帝国内の政治運動やインド人移民の経験と結びついた彼の活動は、帝国主義期のインドとイギリスを架橋する存在として、世界史的にも重要な位置を占める。