インドのイスラーム教徒|歴史と文化の多様性

インドのイスラーム教徒

インドのイスラーム教徒とは、南アジアのインド亜大陸に暮らすムスリム住民を指し、とくに現在のインド共和国に居住するムスリム共同体をさすことが多い。彼らはイスラーム教の信仰を共有しつつ、言語・生活様式・カースト的身分など多様な社会背景をもち、地域社会の中で独自の文化世界を形成してきた。歴史的には中世以降に成立したイスラーム王朝の統治や、近代の植民地支配・民族運動・分離独立の過程と密接に結びつき、その歩みはインド近現代史の重要な一部分となっている。

定義と人口・分布

インドのイスラーム教徒は、インド国籍をもち国内に居住するムスリム住民を指し、言語的にはヒンディー語・ウルドゥー語・ベンガル語など多言語に分かれている。人口比では少数派であるが、絶対数としては世界有数のイスラーム人口を抱える国家の一つであり、北インド平原のウッタル・プラデーシュ州、東部のベンガル地方、デカン高原の都市部などに多く居住する。農村の小村から大都市の旧市街に至るまで、モスクを中心としたコミュニティが広がり、地域ごとに社会構造や宗教実践の形態も異なっている。

イスラームの伝来と中世王朝

インドへのイスラームの伝来は、西アジアや中央アジアからの商人・スーフィー聖者の到来と、軍事的征服の両面から進んだ。8世紀には西方からの軍事遠征がシンド地方に到達し、やがて13世紀には北インドでデリー・スルタン朝が成立した。さらに16世紀にはトルコ=モンゴル系の支配者によるムガル帝国がひらかれ、北インドを中心に広大な領域を統治した。これらイスラーム王朝は、ペルシア語行政・イスラーム法・スーフィー教団などを通じてムスリム共同体を組織しつつ、ヒンドゥー社会とも関係を結び、宮廷文化や都市文化の中に両者の要素が混ざり合っていった。

ヒンドゥー社会との関係

ヒンドゥー教を信仰する多数派社会の中で、ムスリムは時に支配層として、また時に都市の職人・商人・農民として生活してきた。征服や課税をめぐる緊張・暴力も存在した一方で、スーフィー聖者への越宗教的な崇敬や、バクティ信仰との接近など、相互の宗教文化が影響し合う局面も多かった。ウルドゥー語文学や音楽、宮廷建築などには、イスラーム的要素とインド固有の伝統が融合した表現が見られ、こうした文化的交渉の中でインドのイスラーム教徒としてのアイデンティティが徐々に形成されていった。

イギリス植民地支配と近代化

18~19世紀にかけてイギリス帝国がインドを支配すると、ムガル帝国は急速に衰退し、ムスリム支配層の没落が進んだ。1857年の反乱には旧軍人や宗教指導者などムスリムも多く参加したが、その後の植民地統治の下で、近代教育・司法制度・土地制度の導入が進み、ムスリム社会内部にも新旧エリートの分化が生じた。ウルドゥー語を重視する近代的学校の設立や、イスラーム改革運動が展開される一方で、行政上の区分や選挙制度において宗教共同体ごとの代表枠が設けられたことで、ムスリムは一つの政治的「宗教共同体」として意識されるようになっていった。

民族運動と分離独立

20世紀に入り、インドの民族運動が高まるなかで、ムスリムは全インド的な運動への参加と、共同体としての権利確保とのあいだで揺れ動いた。ヒンドゥー・ムスリム協調を掲げたガンジーらの運動に加わるムスリムも多かったが、同時にムスリムの政治的代表を自任する組織も成長し、「2つの民族」論に基づいてムスリム国家の構想が提示された。1947年、植民地支配の終結とともにインドは独立し、一部地域はパキスタンとして分離独立した。この過程で大量の住民移動と宗教暴力が生じ、多くのムスリムがインドとパキスタンの国境を越えて移住することとなり、残留したインドのイスラーム教徒は、新たに多数派ヒンドゥー社会の中の宗教的少数者として位置づけられた。

現代インドにおけるムスリム社会

独立後のインド憲法は世俗主義と宗教の自由を原則として掲げ、ムスリムをふくむ諸宗教共同体に信教・文化・教育の権利を保障した。都市部では商業・映画産業・芸能などでムスリムが活躍する一方、教育機会や雇用、住宅などの面で社会経済的な格差に直面する層も少なくない。政治的には、選挙区ごとの人口構成を背景に、ムスリム票を重視する政党も存在し、ムスリム指導者が国政・地方政治の場で発言力を持つ地域もある。また、共同体内部ではイスラーム法に基づく家族法の扱いや、宗教教育と近代教育のバランスをめぐって議論が続いており、インド国民会議などの世俗政党や宗教政党との関係のあり方も含め、現代インド社会の政治・社会問題と結びついている。

文化・言語・宗教実践

インドのイスラーム教徒の文化は、ウルドゥー語文学、ガザルやカワーリーと呼ばれる音楽、モスク建築や霊廟などに代表される。日常生活では、ラマダーン月の断食、イード(イドゥル=フィトル、イドゥル=アドハー)といった祭礼が重要な行事であり、地域ごとに料理や衣服の習慣も異なる。宗教教育を行うマドラサと、世俗的な学校教育をどう組み合わせるかは、多くの家庭にとって現実的な課題である。こうした多様な文化的・社会的実践の積み重ねによって、インド社会全体の歴史と文化のなかでムスリム共同体が独自の位置を占めてきたことが理解される。