クリオーリョ|ラテンアメリカの白人地主層

クリオーリョ

クリオーリョは、近世のスペイン帝国やポルトガル帝国の支配下にあったラテンアメリカにおいて、「本国から渡来した白人ではなく、アメリカ大陸で生まれたヨーロッパ系白人」を指す概念である。彼らは血統的にはヨーロッパ人とみなされつつも、本国生まれの白人(ペニンスラール)よりも政治的地位が低く抑えられたため、独自の社会意識と不満を形成し、のちの独立運動で重要な役割を果たした社会集団である。

語源と定義

クリオーリョという語は、ポルトガル語やスペイン語の動詞「生み出す」「育てる」に由来し、「土地で生まれた者」というニュアンスをもつ。植民地社会では、人種と出生地の組み合わせによって厳格な身分秩序が作られ、ヨーロッパ生まれの白人、本国人であるペニンスラールが最上層、続いてアメリカ生まれの白人であるクリオーリョが位置づけられ、その下にメスティソやインディオ、アフリカ系奴隷などが並んだ。

植民地社会における地位

クリオーリョは、地方の大土地所有者、鉱山経営者、商人、聖職者などとして、植民地社会の経済と文化を支える中核層であった。彼らは豊かな財産と高い教養を備え、しばしばカトリック教会や大学、地方行政機関にも進出したが、副王や総督など最高レベルの官職は本国生まれの人々に独占されていた。この政治的差別が、彼らの間に潜在的な不満と自立志向を生み出した。

経済活動とプランテーション

クリオーリョの多くはサトウキビやコーヒー、カカオなどの商品作物を生産するプランテーション経営に関わり、また銀山や金山の経営を通じて世界経済と結びついていた。メキシコペルーボリビアでは銀鉱山、ベネズエラアルゼンチンでは農牧経営が重要であり、その利益を享受したのもクリオーリョであった。しかし、本国による重商主義政策や貿易独占は、彼らの経済活動を制限し、政治的不満と結びついていく。

啓蒙思想と独立運動

18世紀後半になると、啓蒙思想アメリカ独立革命フランス革命の影響がラテンアメリカにも波及し、クリオーリョのエリート層は「人民主権」や「平等」の理念を学ぶようになる。本国の専制的支配と植民地の差別的制度を批判する声が高まり、多くのクリオーリョ指導者が独立運動の先頭に立った。サン=マルティンシモン=ボリバルなどは、その代表的な人物である。

地域ごとの特徴

クリオーリョの状況は地域によって異なった。銀山が集中した高地のメキシコペルーでは鉱山経営と官僚制に深く関わり、沿岸部のベネズエラやカリブ海地域ではプランテーションと奴隷制と結びついていた。また、ラ・プラタ地方のクリオーリョは、港湾都市ブエノスアイレスを拠点に牛肉や皮革の輸出で台頭し、自由貿易を求める気運も強かった。こうした経済構造の違いは、各地域における独立運動の時期や性格にも影響した。

独立後のクリオーリョ支配

19世紀前半のラテンアメリカ独立は、多くの面でクリオーリョエリートが主導した革命であった。独立後も彼らは土地と権力を握り、新たな共和国の支配層として君臨したため、インディオや混血層、黒人奴隷の社会的地位は必ずしも大きく改善されなかった。この点でクリオーリョは、植民地支配の被支配層であると同時に、独立後の支配層でもあるという二重の性格をもつ歴史的存在である。