プランテーション|大規模農園が変えた世界

プランテーション

プランテーションとは、主として温暖・熱帯地域において、ヨーロッパ諸国などの資本と支配のもとで展開した大規模な輸出向け農園経営のことである。サトウキビ・タバコ・綿花・コーヒーなどの換金作物を単一栽培し、広大な土地と多数の労働力を組み合わせて利益を追求した点に特色がある。この体制は、大西洋世界の拡大とともに発展し、アフリカからの奴隷を供給した黒人奴隷貿易や、大西洋をめぐる三角貿易と密接に結びつき、近世から近代初頭の世界経済構造を規定した。またプランテーションは、現地住民の土地支配やアフリカ系奴隷への過酷な強制労働を通じて、植民地支配の暴力性を象徴する制度ともなった。

プランテーションの基本的特徴

プランテーションの基本的特徴は、第一に輸出向け換金作物の単一栽培である。限られた作物に特化することで大量生産を可能にし、国際市場での販売によって利益を狙った。第二に、経営主体は本国資本や植民者であり、現地社会との間に鋭い支配・被支配関係が生じた。第三に、労働力としてアフリカ系奴隷や契約労働者を大量に動員し、その生活と自由を著しく制限した点にある。

  • 輸出向け換金作物の大量生産
  • 土地と労働力を集中させた大規模経営
  • 植民地支配と結びついた人種的・社会的差別

大航海時代と初期プランテーション

15〜16世紀、大西洋への進出を進めたポルトガルやスペインは、アフリカ西岸沖や赤道付近の島々でサトウキビ栽培のプランテーションを成立させた。ポルトガル領のサン=トメ島では、アフリカ大陸のギニア地方から連れてこられた奴隷がサトウキビ農園で酷使され、後の西インド諸島の砂糖プランテーションの原型となった。アフリカ内陸では、奴隷供給のためにベニン王国ダホメ王国などの国家が台頭し、ヨーロッパ商人との取引を通じて地域秩序が大きく変容した。

アメリカ大陸のプランテーション経済

大西洋世界が拡大すると、カリブ海地域やブラジル、北米南部でもプランテーションが急速に発展した。西インド諸島やブラジルではサトウキビと砂糖生産が中心であり、北米ではヴァージニアやカロライナのタバコ、のちには綿花が重要な輸出品となった。スペイン・フランス・イギリスなど競合する帝国は、北米東岸やフロリダ、カリブ海諸島の支配をめぐって戦争を繰り返し、そのたびにプランテーションの経営者や奴隷たちは支配者の交替と軍事的破壊の影響を受けた。こうした地域では、植民地社会の階層構造がプランテーションを基盤に形成され、白人地主・自由有色人・奴隷という厳しい身分秩序が生じた。

黒人奴隷貿易との結びつき

プランテーションは、アフリカから新大陸へと連行された黒人奴隷の労働なしには成立しなかった。ヨーロッパ商人は、アフリカ西岸の港で武器や織物などの交易品と引き換えに奴隷を購入し、大西洋を横断してアメリカ大陸の農園へ輸送した。この過程は黒人奴隷貿易として知られ、さらにヨーロッパ・アフリカ・アメリカの三地域を結ぶ三角貿易の一環をなした。

  1. ヨーロッパからアフリカへ:工業製品や武器を輸出
  2. アフリカからアメリカへ:奴隷を輸送しプランテーションへ供給
  3. アメリカからヨーロッパへ:砂糖・タバコ・綿花などを逆輸出

プランテーションと世界経済・国際政治

プランテーションから生み出される砂糖やタバコ、綿花は、ヨーロッパ社会の消費文化を大きく変え、甘味料や嗜好品、繊維製品への需要を拡大させた。これにより、商業資本や金融業は巨利を得て、近代世界経済の形成が促進されたと理解されている。同時に、カリブ海や北米の植民地は、宗主国間の戦争における重要な争奪対象となり、七年戦争後のパリ条約などによって支配地域が再編された。こうしてプランテーションは、経済だけでなく国際政治秩序の再編にも深く関与したのである。

プランテーションの変容とその後

19世紀以降、ヨーロッパとアメリカで奴隷制度廃止運動が高まり、多くの地域で黒人奴隷制が法的に禁止されると、従来のプランテーション経営は大きな転換を迫られた。奴隷に代わって、インドや中国などから送り込まれた契約移民や低賃金の自由労働者が農園労働を担い、形式上は自由でありながら実質的に強い拘束の下で働かされる例も少なくなかった。また、アジアやアフリカの植民地では、ゴムや茶、コーヒーなどを対象とする新たなプランテーションが展開し、土地収奪と過酷な労働が20世紀まで続いた。こうした歴史は、今日に至るまで、植民地支配と人種差別、グローバルな経済格差の起源を考えるうえで重要な手がかりとなっている。