日本史

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王政復古|江戸幕府から朝廷へ

日本の王政復古 王政復古とは、天皇親政の形式のもとで、天皇を頂点に置き、諸藩連合政権をつくることを目的とした。鎌倉幕府以前の天皇親政に復帰するようなイメージで政権をとらえたため、王政復古といわれた。 目次 王政復古...
日本史

大政奉還|徳川慶喜による朝廷への統治権の返上

大政奉還 大政奉還とは、1867年10月14日薩摩藩や長州藩が打ち立てた新政府軍との軍事衝突を恐れた江戸幕府が朝廷に統治権を返上したこと。薩摩藩や長州藩に加えて土佐藩や芸州藩も新政府軍に加わったのをみて、二条城の日の丸御殿にて、徳川慶...
日本史

船中八策|坂本龍馬が後藤象二郎に説いた新国家構想

船中八策 1867年6月、在京中の前土佐藩主山内豊信(容堂)は倒幕を掲げ近代化を推し進める薩摩藩や長州藩に対抗するような土佐藩の方針を模索していた。そのため、長崎にいた後藤象二郎を京都に呼び出し、後藤象二郎とともに坂本龍馬も土佐藩船夕...
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慶応の改革|徳川慶喜が主導した幕政改革

慶応の改革 慶応の改革とは、徳川慶喜が15代将軍就任に伴い、幕府を立て直すために実行した改革である。慶応2~3(1866~67)年に行われた。1866年7月20日に家茂が大坂城で病死するが、これを受けて、12月5日、英才として評判が高...
政治

公議政体論|ヨーロッパ型の議会制度の導入

公議政体論 公議政体論は雄藩などの有力者を集めた議会を設置し、ここで議論をしながら政治を進めていこうとする考え方を公議政体論という。現在の国会のもとになるような考え方で後藤象二郎や坂本龍馬によって提起された。彼らの船中八策にその思想が...
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薩土同盟|薩摩藩-土佐藩-長州藩の協力体制

薩土同盟 薩土同盟とは、武力による討幕を訴える薩摩藩と穏健的で公議政体論を掲げる土佐藩の同盟関係をいう。中岡慎太郎や坂本龍馬など土佐藩に縁のある人物の仲介で、土佐藩は薩摩藩との盟約関係を構築した。薩摩藩はそれ以前に薩長同盟を結んでおり...
日本史

薩長同盟|坂本龍馬と中岡慎太郎の仲介による和解

薩長同盟 尊王攘夷を掲げ倒幕に進む長州藩と、近代化を推し進め幕府とも協力関係にあった薩摩藩とが互いの対立を和解し、薩長同盟を結んだ。土佐の中岡慎太郎や元土佐藩の坂本龍馬が政治的・経済的に仲介役を担い、国力を疲労させる内乱を避け、倒幕に...
日本史

松下村塾|吉田松陰,誓って神国の幹とならん

松下村塾 松下村塾は外国に対して危惧した吉田松陰が立ち上げた塾である。身分にかかわらず、志のある者は誰もが入ることが出来た。松下村塾では個性を重んじた授業が行われ、講義の内容は日本を取り巻く国際情勢を中心に、欧米列強の軍事力の脅威を説...
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天誅組|天誅組の乱と尊王攘夷

天誅組 天誅組とは、文久3年(1863)8月、洛東方広寺に中山忠光を中心とした尊皇攘夷を掲げた部隊。1863年8月2日、攘夷決行祈願のため、孝明天皇の大和行幸の詔が下された。この行幸を機に倒幕をはかるため、土佐藩の吉村寅太郎、備前藩の...
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八月十八日の政変|薩摩藩・会津藩と長州藩との衝突

八月十八日の政変 八月十八日の政変は、1863年8月18日、公武合体論を推し進める薩摩・会津の両藩が、尊皇攘夷派の公家三条実美たちを京都から追放した事件。公家の三条実美ら長州藩を中心に攘夷運動を支援していた。京都守護職会津藩は蛤門にて...
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