インドの鉄道
「インドの鉄道」は、19世紀半ばにイギリスの植民地支配のもとで建設された近代鉄道網であり、今日では世界有数の長大な路線網をもつ交通システムである。海港都市と内陸部を結び、軍隊や官僚機構の移動、綿花や穀物などの輸送を支えた一方、農村社会や宗教生活、民族運動にも大きな影響を与えた。鉄道は輸送手段にとどまらず、近代インド社会の形成を理解するうえで不可欠なインフラである。
イギリス支配と鉄道建設の開始
鉄道建設は、19世紀前半にインドを支配していた東インド会社と、のちに直接統治を行うイギリス政府の利害から始まった。1853年、ボンベイ(ムンバイ)とターネーを結ぶ最初の鉄道路線が開通し、その後イギリス資本の投下を前提とした「保証制度」によって、民間会社が次々と幹線を敷設した。これらの路線は、反乱鎮圧を含む軍事行動や、綿花・アヘン・茶など輸出向け商品作物の輸送を円滑にする目的をもっており、まさにイギリスのインド植民地支配のインフラとして位置づけられた。総督カーゾンの時代には、行政効率の向上や国土一体化の象徴として鉄道網の重要性が繰り返し強調された。
路線網の拡大と地域経済への影響
19世紀後半になると、ボンベイ・カルカッタ(コルカタ)・マドラス(チェンナイ)など主要港湾都市を結ぶ幹線に加え、内陸部へ向かう支線が各地に建設され、インド亜大陸全体を結ぶネットワークが形成された。鉄道は、農村の穀物や綿花を短時間で港へ運び出すことを可能にし、地方経済を世界市場に組み込んだ。その一方で、輸出作物への偏重や穀物流通の変化は、飢饉の際に被害を拡大させた面も指摘される。東部の行政再編であるベンガル分割令の背景にも、鉄道によって結び付けられた広大な地域を統治しようとする植民地政府の思惑があったとされる。
- 軍事・行政の迅速化(反乱鎮圧・官僚の移動)
- 綿花・鉱産資源など輸出向け物資の大量輸送
- 都市と農村の結合による市場経済の浸透
鉄道と社会・文化の変容
鉄道の普及は、社会構造や日常生活にも変化をもたらした。3等車を中心とする安価な運賃により、農民や職人、巡礼者など多様な人びとが長距離移動を経験し、都市への出稼ぎや巡礼地への移動が容易になった。異なる地域・言語・宗教の人びとが同じ車両に乗り合わせることで、共同体の境界は相対化され、全インド的な意識の萌芽が生まれたと指摘される。とくにヒンドゥー教徒やインドのイスラーム教徒にとって、聖地巡礼や宗教行事への参加は鉄道によって大きく変容し、宗教ネットワークの拡大をもたらした。
宗教・カーストと鉄道
列車内では、カーストや宗教ごとに車両が分けられることもあったが、駅やホーム、乗り換えの場面では従来の境界が揺らいだ。飲食や同席をめぐる慣習はしばしば争いの種ともなったが、同時に他集団との接触を通じて、インド社会全体を意識する契機ともなった。鉄道は、植民地支配の管理装置であると同時に、社会的境界を交渉しなおす空間でもあったのである。
民族運動と独立後の鉄道
20世紀に入ると、鉄道は民族運動の展開においても重要な役割を果たした。各地の指導者や活動家は列車で地方都市や農村を巡り、集会や演説を行い、パンフレットや新聞を広めた。初期民族運動を担った国民会議派の指導者たち、たとえばティラクなどは、鉄道を利用して大衆に訴えかけ、ボイコット運動やスワデーシー(国産品愛用運動)を組織した。1906年のカルカッタ大会四綱領に象徴される急進化も、広域的な移動と情報伝達を可能にした鉄道の存在なしには理解しがたい。1947年の独立後、インド政府は鉄道を国有化し、統一的な「インド鉄道」として再編した。今日、鉄道は膨大な乗客と貨物を運ぶ国家的基盤であり続け、植民地期に築かれたインフラが、独立国家の発展を支える装置へと転換したのである。