和辻哲郎|思想と哲学,『倫理学』,間柄的存在,風土

和辻哲郎

和辻哲朗は昭和時代に活躍した哲学者・倫理学者である。主著は『古寺巡礼』『風土』『日本精神史研究』『人問の学としての倫理学』『倫理学』『日本倫理思想史』など倫理学に関する多数の本を出版している。岡倉天心、ケーベル、夏目漱石西田幾多郎らと交流を持ち、大きな影響を受けている。
和辻哲郎は、西洋哲学をベースに、日本の伝統文化、日本的共同体を理論的に再評価し、「解釈学」の立場から倫理学を形成した。特に、人間を「間柄的存在」とし、人間には個人と社会の二つの側面があるとしたことは、西洋近代の個人主義的人間観からの脱却をはかるものとして注目を集めた。また、仏教や日本思想史、文学や美術、建築などの研究においても多くの業績を残した。特に飛鳥・天平の仏教美術や寺院建築様式については、单に両時代に用いられた表現形式の差を比較して理解するのではなく、表現様式の奥底に込められた各時代の精神を理解することが大切だと説いた。

目次

和辻哲郎の略年

1889 兵庫県に生まれる。
1909 東京哲学科に入学する。
1913 『ニーチェ研究』出版する。
1919 『古寺巡礼』出版する。
1920 大学で敎鞭をとる。
1925 京都大学で教鞭をとる。
1927 ドイツ留学。
1934 東京大学哲学科教授に。『人間の学としての倫理学』出版。
1935 『風土』を出版する。
1950 日本倫理学会初代会長に就任。
1955 文化勲章受賞。
1960 死去。

和辻哲郎の生涯

和辻哲郎は、兵庫県姫路市に医者の次男として生まれる。少年時代から文学や思想に関心をもち、第一高等学校に首席で合格し、哲学を志し、東京帝国大学で哲学を学ぶ。岡倉天心やケーベルらに師事し、谷崎潤一郎らの『新思潮』同人としても活動した。卒業後は『ニーチェ研究』(→ニーチェ)を出版、夏目漱石の「木曜会」に参加し、夏目漱石の門人となり、大きな影響を受けた。
東洋大学教授、法政大学教授、京都帝国大学(現京都大)で講師・助教授として倫理学を講じた。実存主義の研究とともに日本文化や日本人の精神的柱さらには日本の風土と文化的特色を世界的視点からとらえるなど広範な倫理学の構築をめざした。(ちなみに京都大講師就任は西田幾多郎や波多野精一に招かれてのことで、京都大講師就任では西田から大きな影響を受けている。)
38歳の時、文学省の研究員としてヨーロッパに留学し、ベルリンを拠点として研究するが、イギリス、フランス、イタリアなども訪れたが、そこでの見聞が後の風土論につながったと言われている。
日本に帰国後、東京帝国大学教授となり文学博士の学位を受けた。また、雑誌『思想』の編集に参画、日本倫理学会会長を務め、文化勲章を受けるなど、各分野で幅広い学問研究に取り組んだ。
1934(昭和9)年、45歳のとき、『人間の学としての倫理学』を発表した。これは、西洋思想を批判的に受容した独創的な倫理学を講じたもので、西田幾多郎の影響によるところが大きかった。その後、東京大学教授として倫理学の講義を担当するかたわら、自己の倫理学体系の完成につとめた。和辻哲朗はまた『古寺巡礼』や『風土』にみられるように、若い頃から71歳で死去するまで、日本の文化や精神、また世界的視野での風土と精神のあり方などについて、実に幅広い学問活動を行った。(一方、第二次世界大戦については,東洋人の自由を守るための戦争としてナショナリズムを説き、敗戦後は国家論を修正したが、多くの批判を受けた。)

間柄的存在

間柄的存在とは、和辻哲郎がとらえた人間存在のあり方を示す概念。人はつねに人と人との間柄(関係)においてのみ人間たり得るのであり、決して孤立した個人的な存在ではないということ。人間をこのような間柄的・共同態的な存在ととらえ、倫理をこの間柄において実現される理法であると主張し、自己の倫理学を「人間の学」と名づけた。そして倫理とは、人と人との間柄を律する理法であり、人間関係における道理である。彼は、倫理学とはその理法・道理を解明する「人間の学」であるとし、個人と社会の動的関係を考えた。

簡単にいえば、我々は日常的に間柄的存在においてあるのである。しかもこの間柄的存在はすでに常識の立場において二つの視点から把握せられている。一は間柄が個々の人々の「間」「仲」において形成せられるということである。この方面からは、間柄に先立ってそれを形成する個々の成員がなくてはならぬ。他は間柄を作る個々の成員が間柄自身からその成員として限定せられるということである。この方面から見れば、個々の成員に先立ってそれを規定する間柄がなくてはならない。この二つの関係は互いに矛盾する。しかもその矛盾する関係が常識の事実として認められているのである。(『倫理学(一)』)

倫理学とは「人間の学」である

人間とは個人のみを示すものではなく、同時に人と人との「あいだがら(間柄)」を示すものであり、個人と社会は人間そのものの二つの側面である。人間は、世の中を形成する存在であるので世の中そのものともいえる。それと同時に世の中の成員としての個の存在でもある。世の中は、社会でもあり、人でもあるという、矛盾・対立する性格をもつことがここに認められる。和辻哲朗は、人間存在のこのような二重性格の中に、和辻哲朗は自己の倫理学を樹立しようとした。個人と社会、西洋個人主義と東洋的共同体倫理に関して、それぞれが互いに否定性をさらに否定するという弁証法的方法を基点として日本独自の倫理学を目指した。倫理学の「倫」が人とのつながりを意味するように、人間のつながり・行為的連関の仕方を求めるのが「人間の学」なのである。

社会的存在

和辻が個人と社会の関係を動的なものとしてとらえようとしたことには、西洋の近代思想の根底にあるデカルト以来の個人や自我の確立を重視することへの批判があった。そこで、人間は、主体的な自己を自覚する個人としての存在であると同時に、自己の置かれた社会をよりよくしていこうと尽くす社会的存在であるとした。

「人間とは「世の中」であると共にその世の中における「人」である。だからそれは単なる「人」ではないとともにまた単なる「社会」でもない。ここに人間の二重性格の弁証法的統一が見られる。人間が人である限りそれは個別人としてあくまでも社会と異なる。それは社会でないから個別人であるのである。したがってまた個別人は他の個別人と全然共同的でない。自他は絶対に他者である。しかも人間には世の中である限りあくまでも人と人との共同体であり社会であって孤立的な人ではない。それは孤立的な人でないからこそ人間なのである。したがって相互に絶対に他者であるところの自他がそれにもかかわらず共同的な存在において一つになる。社会と根本的に異なる個別人が、しかも社会の中に消える。人間はかくのごとき対立的なものの統一である。この弁証法的な構造を見ずしては人間の本質は理解されない。

『人間の学としての倫理学』

『人間の学としての倫理学』(1934 昭和9)は倫理学を、人と人との間柄の学、つまり「人間の学」としてとらえ、独自の倫理学体系建設の出発点となった書である。その体系は、その後の『倫理学』(1937~49)でまとめられた。

風土論

和辻哲朗は、人間を具体的に理解するために、風土や歴史の考察が不可欠であると考え、『風土』を著した。風土(その人をとりまく自然環境)が人間存在のあり方を規定する重要な契機であるという視点から、独自の日本文化論を展開していく。その土台ともいうべき人間観こそが、この間柄的存在なのである。

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