三民主義
三民主義は、清朝末期から民国初期にかけての中国革命を指導した孫文が提唱した政治理念である。民族主義・民権主義・民生主義の3原理から成り、帝国主義列強の支配と清朝専制を打倒し、独立した近代国家を建設することを目標とした思想体系である。後に中国国民党の基本綱領となり、中華民国建国やその後の政権運営の理論的支柱として機能した。
成立の背景
19世紀後半、中国はアヘン戦争以降の一連の敗戦により不平等条約を強いられ、列強の勢力圏が分割されていった。この危機に対して、光緒帝のもとで変法自強を試みたが、保守派のクーデタにより失敗に終わったのが戊戌の政変である。その後も洋務運動や制度改革が進められ、近代的軍隊としての新軍創設、科挙制度の見直しを経て科挙の廃止に至るなど、旧体制は動揺していた。こうした中で、より急進的な革命をめざす地下結社が各地に生まれ、三民主義はその思想的核として形成された。
三つの原理の内容
三民主義は、「民族」「民権」「民生」という3つの「民」の原理から構成される。民族主義は中国民族の独立と統一、民権主義は人民主権に基づく共和政の樹立、民生主義は貧富の格差を是正し国民の生活を安定させることを目的とした社会経済政策を意味する。
- 民族主義は、「驅除韃虜・恢復中華」を合言葉に、満州族王朝である清を打倒し、列強の半植民地支配を排除することを掲げた。
- 民権主義は、君主専制を廃し、憲法と議会にもとづく共和政を実現することを目標とした。
- 民生主義は、土地制度の改革などによって富の偏在を是正し、民衆の生活向上を図る構想であった。
孫文と革命結社
孫文は、1890年代にハワイや香港などで華僑の支持を得て政治活動を始め、1894年に最初の革命結社興中会を組織した。その後、各地の団体が統合され、1905年に東京で中国同盟会が結成されると、三民主義はその綱領として明文化された。同盟会には、湖南の華興会や、革命派知識人の組織である光復会など、各地の団体が参加し、三民主義は中国全土の革命運動を結びつける共通のスローガンとなった。
辛亥革命と中華民国
1911年、武昌蜂起をきっかけとして辛亥革命が広がると、各省の立憲派や新軍将校、地方有力者が次々と独立を宣言し、清朝は急速に瓦解した。南京に樹立された中華民国臨時政府の臨時大総統には孫文が就任し、その政治理念として三民主義が掲げられた。臨時約法やのちの憲法構想には、民権主義に基づく共和政体、権力分立、地方自治などの要素が盛り込まれ、民族主義にもとづく統一国家の理念が示された。
その後の展開と評価
袁世凱の独裁化や軍閥割拠を経て、中国国民党は再編され、党規約や訓令の中で三民主義を公式の指導理念として再確認した。特に民生主義は、土地問題や農村の貧困に対応する政策理念として重視され、平等な土地権利や国家による経済の調整が主張された。他方で、実際の政権運営では軍政や党治が強まり、民権主義の徹底は困難であったと指摘される。それでも三民主義は、中国近代における民族独立と共和主義、社会改革を総合的に示した思想として位置づけられ、近代中国史を理解するうえで不可欠な概念となっている。