華興会|中国革命の先駆者

華興会

華興会は、清朝末期に成立した反清革命結社である。1904年に上海で蔡元培や陶成章らが中心となって結成され、君主制を打倒して共和政治を実現することを目指した。秘密結社として活動し、のちに興中会や中国同盟会と連携しながら辛亥革命へと至る初期の革命運動を担った団体の一つである。

成立の背景

清朝は日清戦争後、列強の進出と国内の社会不安により体制改革を迫られていた。康有為らの変法運動は戊戌の政変で挫折し、宮廷への信頼は大きく失墜した。一方で近代的官僚や軍人を育成するために伝統的な科挙制度が段階的に廃止され(科挙の廃止)、新式軍隊として新軍新建陸軍が整備されるなど、部分的な近代化は進められていた。また清朝は立憲君主制への移行をめざして『憲法大綱』を公布したが、その内容は保守的で、急速な改革を求める知識人や青年層を満足させるものではなかった。

こうした「上からの改革」に失望した人びとは、秘密結社や留学生団体を通じて急進的な革命路線へと向かう。浙江や江蘇の知識人は、日本留学や海外滞在を通じて共和主義・民族自決といった思想に触れ、清朝打倒と「中華民族の再興」を掲げる組織づくりを進め、その流れの中から華興会が生まれた。

組織と主要人物

華興会の中心人物の一人は、教育家として知られる蔡元培であり、彼は学校や書院を拠点に学生・教員・都市の知識人を組織化した。もう一人の指導者陶成章は、日本留学の経験を通じて孫文ら革命派と接触し、帰国後に浙江を基盤として華興会結成を主導した。会員には教師、新聞記者、商人など都市の中間層が多く、地方士紳や新式教育を受けた青年層が積極的に関わったとされる。

  • 華興会は、満洲支配の打倒と漢民族中心の国家再建を掲げた。
  • 組織形態は秘密結社であり、会員は誓約と紹介制度によって厳格に管理された。
  • 組織資金は会費や商人からの献金、さらには海外の華僑からの支援に依拠した。

活動と中国同盟会への合流

華興会は、浙江・上海を中心に官僚や満洲貴族の要人に対する暗殺計画や地方での蜂起計画を立案し、その急進的な行動で知られた。また、海外の革命勢力とも連携し、特に東南アジアや日本に在住する華僑とのネットワークを通じて資金・武器・宣伝物を調達した。この点で、中国革命と華僑との結びつきは華興会の重要な基盤であった。

1905年、日本の東京で興中会など各地の革命団体が合同して中国同盟会を結成すると、多くの華興会メンバーもこれに参加し、組織としての華興会は次第に同盟会に吸収されていった。規模は必ずしも大きくなかったが、地方結社の組織化や暗殺・蜂起の実務経験を蓄積した華興会の活動は、その後の辛亥革命期に展開される武装蜂起や宣伝戦に大きな影響を与えたと評価されている。