興中会
興中会は、清朝打倒と共和政体の樹立を目指して、1894年に孫文らがハワイで結成した秘密結社的な革命団体である。主な構成員は海外に居住する華僑であり、清朝支配からの解放と「中華」の再建を掲げて、資金調達・宣伝・武装蜂起の準備などを行い、のちの中国同盟会や辛亥革命へとつながる近代中国革命運動の先駆的組織となった。
成立の背景
19世紀末の清は、列強の軍事的圧力と不平等条約により主権を侵食され、国内でも政治腐敗と財政難が深刻化していた。とくに日清戦争(1894〜1895年)の敗北は、中国の危機意識を強め、体制そのものを変革しようとする動きを生んだ。このような状況のもと、海外で成功した華僑たちのあいだで祖国救済への問題意識が高まり、その受け皿として興中会が構想されたのである。
設立と拠点
興中会は1894年、ハワイ・ホノルルにおいて孫文と楊衢雲らによって正式に結成された。ここでは在住華僑から会費や寄付を集め、清朝打倒のための資金と人的基盤を築いた。その後、活動拠点は香港に移され、国内への宣伝・同志の獲得・軍事蜂起の準備が本格化していった。
綱領と理念
興中会の綱領は、伝統的な民族意識と近代的な共和主義の要素をあわせ持つものであった。スローガンとして知られる「駆除韃虜・恢復中華・創立合衆政府」は、満洲族王朝である清を打倒し、漢族中心の「中華」を復興したうえで、近代的な共和国を建設するという構想を簡潔に示している。この理念は、のちの中国同盟会や辛亥革命における民族革命・共和革命の思想的な源流となった。
- 駆除韃虜:清朝支配の打倒
- 恢復中華:民族国家「中華」の再建
- 創立合衆政府:共和制国家の樹立
活動と蜂起
興中会は香港などを拠点に、宣伝ビラや機関紙を通じて反清思想を広めるとともに、軍人や知識人の組織化を進めた。1895年には広州で武装蜂起を計画したが、事前に発覚して失敗し、多くの同志が処刑される結果となった。しかしこの失敗は、秘密結社的な革命団体に必要な組織原則や連絡方法を学ぶ契機となり、その経験はのちの革命運動に受け継がれていった。
日本との関係
広州蜂起の失敗後、孫文は日本へ亡命し、東京や横浜を活動の拠点とした。ここで日本の支持者や在日華僑から支援を得て、引き続き興中会名義で清朝打倒の宣伝と組織化を進めた。日本は当時、日清戦争後に東アジアで影響力を拡大しつつあり、対清政策の一環として中国革命家に一定の活動空間を提供した側面があった。
中国同盟会への発展
20世紀初頭になると、国内外には興中会以外にも多くの革命団体が生まれ、相互の連携が課題となった。1905年、日本の東京で孫文は興中会を中核として、華興会や他の団体を統合し中国同盟会を結成する。この新組織は、民族・民権・民生の「三民主義」を掲げて革命運動を全国的に展開し、最終的に1911年の辛亥革命と中華民国の成立へとつながった。
歴史的意義
興中会の歴史的意義は、海外華僑社会の資金力とネットワークを、清朝打倒という政治目的に組織的に結びつけた最初期の革命団体であった点にある。また、民族意識と共和主義を結合した綱領や、海外拠点から国内を連結する運動形態は、のちの中国革命における基本的なモデルとなった。こうした点で興中会は、近代中国における政党政治・革命運動の原型を示した先駆的な組織であると評価されている。