親鸞|浄土真宗,善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや

親鸞

親鸞(1173~1262)は、浄土真宗(一向宗)の開祖。主著は、『教行信証』、『和讃』。(『歎異抄』は親鸞の教えを弟子唯円が記したものである。)
親鸞の生きた時代には、源平の争乱、大飢饉など、社会の混乱が激しく、人間の苦悩と罪業の自覚が強まった。親鸞は自己の内面を見つめ、ひたすら阿弥陀仏の他力にすがるしかない自己を発見し、師の法然の思想を徹底的に深めた。親鸞は、法然の南無阿弥陀仏信仰と念仏行を受け継ぎ、自力では救われない悪人こそ阿弥陀仏により救われるという悪人正機、救いは個人の意志や修行にかかわらず阿弥陀仏の慈悲のうちにあるとする絶対他力を説き、念仏が救いの道ではなく念仏が救いそのものであるとした。

親鸞

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目次

親鸞の生涯

1173年に藤原北家につながる下級貴族の子として京都に生まれる。幼くして両親と死別した。8歳の時、京都青蓮院において慈円のもとで出家し、以来20年にわたり、比叡山で厳しい修行を行った。僧侶として常行三枚堂の堂衆を務めた。しかし、悩める心に安心立命を得られず、自力での修行に限界を感じていた28歳の時、聖徳太子建立と伝えられる六角堂に百日参を行い、夢の中に太子の示現(じげん)を受け、終生の師となる法然の門下に入り、浄土宗に心依した。34歳の時、後烏羽上皇の念仏停止に当たり、法然と連座し、還俗させられ越後に流罪となる。その際、僧籍を剥奪されたが、それを転機に「僧にあらず俗にあらず」として在家仏教の道を確信した。親鸞はこの地で恵信尼(えしんにん)と結婚した。38歳のとき、流罪が許されたのちも京には帰らず、妻子をつれて関東や北陸、奥羽と20年間にわたり布教につとめた。その対象は、無知・無学な庶民や武士であった。
63歳のとき京都に帰り、その後は著述活動を通して布教に専念し90歲で死去する。信仰と教義に関しては身内にも厳しく長男善鸞を教えをゆがめるものとして義絶した。

1173 京都にて誕生。
1181 京都青蓮院において慈円のもとで出家得度し、範宴(はんねん)と名乗る。比叡山に入山。
1201 比叡山を下山し、六角堂への百日参籠。95日目の萝の中に聖徳太于の示現を受け、吉水入室。法然から綽空(しゃっくう)の名を与えられる。
1205 善信房と名乗ることを許される。
1207 後鳥羽上皇の院宣によリ専修念仏停止、越後に流罪される。
1211 流罪が赦免される。
1214 常陸国(ひたち)で布教活動をおこなう。
1232 帰洛。
1247 『教行信証』、立教開宗。
1256 長男の善鸞を教えをゆがめるものとして義絶する。
1262 京都、善法房にて示寂。

親鸞の思想

親鸞は、自分は「煩悩具定の凡夫」であるとした。しかし、阿弥陀仏は、自力で悟りを得られる善人(自力作善の人)ではなく、自分のような煩悩にとらわれ弱く愚かで罪深いことを自覚している悪人こそを救うのだとする(悪人正機)。阿弥陀仏の慈悲は広大無辺であり、救いは信仰や努力によるのではなく、阿弥陀仏のはからいにあり、そのはからいにまかせること(自然法爾)にある。このことを絶対他力という。
念仏は信心の証しであるが、念仏が救いへの道ではなく念仏するとは阿弥陀仏が念仏させてくれていることであり、念仏はそれ自体が救いである。したがって、念仏は阿弥陀仏の慈悲への報恩感謝の念仏なのである。

愚秃

出家の身でありながら僧職を追われた親鸞は、戒律を破って肉食妻帯し、偽善を嫌い、非僧非俗の愚禿と称した。

悪性さらにやめがたし。こころは蛇蝎のごとくなり

悪人正機

自分で善行を積む人(善人)か極楽往生するというのは、一見もっともらしいが、そのような自力作善の人は.かえって阿弥陀仏にすがる気持ちが薄い。自分の非力さ、罪深さにあえぎ苦しむ人(悪人)こそ、自力を捨てて、ひたすら阿弥陀仏にすがり、極楽往生を遂げることができるとして他力の立場を示す。

善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す。いかにいはんや善人をや」。この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむけり。

煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。よって善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰せ候ひき。

自然法爾

自然法爾とは、一切の事物は作為によらず、本来あるがままにあるということ。親鸞はこれを阿弥陀仏信仰に当てはめ、自力の作為を否定、すべてが阿弥陀仏のはからいによってあるがままにあると説いた。

  • 自然:「おのずから、そのようにあらしめる」
  • 法爾:「阿弥陀仏の本願のはたらきによって」

「自然」ということについて、「自」は「おのずから」ということであり、念仏の行者のはからいによるのではないということです。「然」は「そのようにあらしめる」という言葉です。「そのようにあらしめる」というのは、行者のはからいによるのではなく、阿弥陀仏の本願によるのですから、それを「法爾」というのです。「法爾」というのは、阿弥陀仏の本願によってそのようにあらしめることを「法爾」というのです。「法爾」は、このような阿弥陀仏の本願のはたらきですから、そこには行者のはからいはまったくないということです。これは「法の徳」すなわち本願のはたらきにより、そのようにあらしめるということなのです。人がことさらに思いはからうことはまったくないのです。ですから、「自力のはからいがまじら
ないことを根本の法義とする」と知らなければならないというのです。「自然」というのは、もとよりそのようにあらしめるという言葉です。
阿弥陀仏の本願は、もとより行者のはからいではなく、南無阿弥陀仏と信じさせ、浄土に迎えようとはたらいてくださっているのですから、行者が善いとか悪いとか思いはからわないのを、「自然」というのであると聞いています。

絶対他力

絶対他力とは、信心を得ることも、念仏を唱えることも、すべてが阿弥陀仏のはからいであって、自分自身の力でできることではないという親鸞の考え方。阿弥陀仏の絶対的な阿弥陀仏の力でのみ救われる。自分ではなにもなしえず、他力信仰を徹底化させた。

報恩感謝の念仏

報恩感謝の念仏とは、阿弥陀仏の大慈悲への感謝としての念仏のことをいう。親鸞によれば、自分の意志(自力)で念仏を唱えて救われるのではなく、他力である阿弥陀仏によって救われるため、念仏は阿弥陀仏への感謝である、と説いた。この教えは法然の専修念仏の教えをさらに推し進めた思想である。

報思感謝の念仏

しかるにいまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて難思義往生を遂げんと欲す。花遂(かすい)の誓い(第二十願)、まことに由あるかな。ここに久しく願海に入りて、深く仏恩(ぶっとん)を知れり。
至徳を報謝せんがために、真宗の簡要を摭うて、恒常に不可思謙の徳海を称念す。
いよいよこれを喜愛し、ことにこれを頂戴するなり。

『教行信証』

『顕浄土真実教行証文類』。浄土真宗の教典。教・行・信・証・真仏土・化身土の六巻からなり、多くの仏典、高僧の著書をもとに浄土信仰のあり方を整理し、阿弥陀仏信仰や修行としての念仏の重要性を述べている。

  • 教卷:仏の真の教えが大無量寿経であることを示している
  • 行巻:称名念仏を、信巻で信仰の純粋さを示している。
  • 証巻:悟りの内容を説き、念仏批判に応えている。

『歎異抄』

親鸞の弟子、唯円(生没年不詳)が、親鸞の死後、師の教えと異なる説を唱える者がいるのを嘆いて書いた。全18章からなり、前半の10章は親鸞の語録、後半の8章は唯円の異説への批判で構成されている。悪人正機など、親鸞の思想の核心を物語る言葉を多く書きとめてある。