禅宗|禅,ZEN,曹洞宗,臨済宗,道元,栄西

禅宗

禅宗は、坐禅宗の略で、身を正して坐し、呼吸をととのえ、調息心をととのえる(調心)坐禅の実修を核心とする宗派である。仏心宗ともよばれる。
5世紀ごろ、インドの僧である達磨が、中国に伝えて発展した仏教の一派である。坐禅は仏教の修行法のひとつにすぎなかったが、中国の宋の時代に坐禅を修行の中心とする宗派が栄えた。日本では、鎌倉時代に栄西が臨済宗、道元が曹洞宗、その後、江戸時代には中国の隠元が黄檗宗(おうばくしゅう)を伝えて今日に到っている。禅の修行は自力による修行(聖道門)であリ、その精神は文学や芸術、茶道などの稽古、修行に幅広く影響を与えた。近年では禅について欧米などのキリスト教圏内でも注目され、全世界に広がっている。

目次

6世紀インド

インド僧、菩提達磨が開祖と言われている。もともと仏教には、戒(戒律)・定(抑定)・慧(知恵)の3つの修行を基本としているが、6世紀はじめにインド僧、菩提達磨が禅を中国に伝えてから、一つの宗派として発達した。

中国

中国では、唐から宋にかけて五家七宗といわれるほど盛んになった。7世紀のころ第5祖弘忍の門下に慧能と神秀により2派に分断される。どちらも優秀で禅宗の発展に寄与した。慧能の系統を南宗といい、神秀の系統を北宗という。南宗はさらに2派に分れ、青原が曹洞宗を開き、南嶽は臨済宗を興した。

曹洞宗

曹洞宗は、1227年に中国から帰国した道元によって日本に伝えられた。道元は日本曹洞宗を開いた。道元は、釈迦成道の坐禅を正門として、悟りの手段ではない只管打坐をすすめ、坐禅弁道が修証一等の姿であるとした。越前(福井県)の永平寺と鶴見(神奈川県)の永平寺を二大本山としている。

臨済宗

臨済宗は帰国した栄西によって日本に伝えられ、栄西は日本臨済宗を開いた。栄西は比叡山で天台と密教を学んだものの、満足いく結果は得られなかった。二度にわたる宋への留学に渡って禅を学んだ。鎌倉・室町幕府の庇護にあい、急速に発展していった。また宗教だけでなく、文学や芸術、茶道などに幅広い影響を与えた。

不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏

不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏とは、禅宗の特色をあらわす四句である。栄西の『興禅護国論』にも引用されている。仏の悟った摂理は言葉によらずに体験によって心で直接に悟られ(不立文字)、経典の教えの他に以心伝心で別に伝えられる(教外別伝)。そして、坐禅という行によって自己の心を端的にとらえ(直指人心)、心の本性そのものを見ることが、そのまま真理と一体となって仏になることである(見性を成仏となす)。

坐禅

坐禅とは、瞑想する禅宗の修行方法である。両足を組んで坐す方法を、結跏趺坐(けっかふざ)、片足だけのものを半結跏趺坐という。それぞれに備わっている法に基づく自利の道(自受用)に入り込む、自受用三昧へのきっかけが坐禅である。
臨済宗では公案といわれる問題を考えながら坐する看話禅も行われたが、曹洞宗では公案を退け、坐禅そのものが悟りの姿であるとし、ひたすら坐する黙照禅が行われた。

只管打坐(曹洞宗)

曹洞宗では、もっぱら坐禅を組み続けるという只管打坐を説いている。
仏道を習うというのは、仏の道を模倣することであり、仏のはからいに身をまかせ、自己に対する一切の執着心を捨てることで悟りが生まれ、仏が現れる。このような身も心も脱落した状態に至るための修行が坐禅であり、只管打坐である。この坐禅こそ、かって諸仏が修行として行い、悟りを開いた行為であり、仏になるために必要な行である。

「自己をならうというは、自己を忘るるなり(『正法眼蔵』道元)

公案

臨済宗で修行の際に、悟りに到達させる手段として、師(師家)が門弟に与える問題を公安という。知的な分別心では解き得ない本質的問いであるところに特徴を持ち、師弟で禅問答を行い工夫させる。なお、同じ禅宗の曹洞宗では公案も排除している。