最澄
最澄は日本天台宗の開祖で、空海とともに平安仏教を代表する僧である。死後、伝教大師とおくり名された。主著は『顕戒論』『山家学生式』。近江国滋賀郡(滋賀県近江市)に生まれ、渡来人の家系であったと伝えられている。13歳の時、近江国分寺に入り、19歳の時に東大寺で受戒した。その年、比叡山に登り、山林修行に入る。その後は天皇の近侍に任じられ、804年の37歲の時、空海とともに入唐する。唐では、天台教学を中心に密教・禅を学び、翌年帰国した。帰国後、最澄は日本天台宗を開く。52歳の時、東大寺で受けた具足戒(ぐそくかい)では鎮護国家や衆生救済の役目を果たせないとして自ら破棄し、天台宗の僧侶は比叡山において菩薩戒を受け、得度を受けた後、12年間は山中で修行することを義務づけた。晩年は、大乗戒壇の設立を求める運動に力を注いだが、奈良仏教との対立や空海の隆盛の中で苦しみ、56歳で世を去った。彼の死後7日目、朝廷は比叡山で大乗戒壇の設立を認めた。
最澄の略年
767 近江国で誕生する。
780 出家。
785 比叡山に草堂を造営。
786 東大寺にて受戒する。
804 入唐。
805 帰国。
809 空海との交流を行う。
822 死後、比叡山に大乗戒壇設立の許可がおりる。
最澄の思想
最澄は、法華経の説く一乗思想に深く傾倒し、これこそ仏陀本来の教えだと確信するに至る。人間は誰もが仏となる本性(仏性)をもっているとする『涅槃経』の「一切衆生悉有仏性」を受け、「山川草木悉皆成仏」を唱え、あらゆる事物にさえも仏性があるとした。したがって、自分がその本性を自覚し修行すれば、真理を悟って成仏できる。人の素質によって仏になれるかどうかに差があるという、差別的な救済論を説く南都の仏教を批判した。
一乗思想(法華一乗)
一乗思想とは、仏の真の教えはただ一つ、『法華経』に説かれているとする思想である。法華経で説かれている、仏の教えを乗り物にたとえ、仏が方便として説いたさまざまな教えの本質は一つであり(一乗)、仏になることをめざすものであるとする。最澄は、すべての人が仏になることができると説き、教えやその人の素質によって仏になれるかどうかに差別があるという、奈良仏教にみられる説 (法相宗)にたいし批判した。
『願文』最澄
伏ふして願わくは、解脱の味を自分一人で飲み味わうことなく、また安楽の結果を自分だけで悟ることなく、すべての世界の あらゆる衆生と同じようにすぐれた悟りの立場に登り、すべての世界のあらゆる衆生と同じようにすばらしい悟りの味を飲む ことにしたい。
加持祈祷
加持祈祷(加持祈禱)とは、国家安泰、病気治癒などに現世利益を目的とした呪術的な行為で病気や災いを取リ除くことを目的に祈ること(祈福)と仏の慈悲の力が衆生の信心と一体化する(加持)ことを指す。
天台宗
天台宗は中国隋代の僧智顗を始祖とする仏教の宗派。唐に留学した最澄はこの中国天台宗の教えを受け、比叡山に延暦寺を開き、日本天台宗をおこした。以降、比叡山は日本仏教の中心として多くの僧侶が学ぶことになる。最澄の思想は、一般民衆に対する魂の救済を開くもので、比叡山から民衆に分け入る仏教者たちが育つもととなった。
国宝
最澄は『山家学生式』の中で、仏教の道を求めて、世の中の「一隅を照らす」人を国宝と呼んだ。当時、僧としての戒を授けることができるのは、東大寺、薬師寺、観世音寺と限定されていた。しかし、最澄は、自らめざめて、苦悩する人々を救おうと励む菩薩僧(一隅を照らす者)もまた国宝であるとし、天台宗の延暦寺で菩薩戒を与えた菩薩僧も、私度僧ではなく官僧として認めるよう請願した。仏教の理論・実践ともにすぐれた者は「国宝」として比叡山で僧の指導にあたらせ、理論にすぐれた者は「国宝」として、実践にすぐれた帝は「国用」として各地に派遣し、仏教を広めることによって国家の安泰をはかるべきだとした。
『山家学生式』最澄
国宝とは何物であるか。宝とは道を求める心である。道を求める心をもつ人々を、名づけて国宝という。
だから古人も言っている、直径一寸ある珠十個が国定ではなく、世の中の一隅れを照らす人が国宝である。
山岳仏教
最澄の修行は比叡山にこもり、12年間におよんだ。それゆえ、最澄が開いた天台宗では天台宗で修行する僧に最低12年間は山中修行が義務付けられた。それゆえに山岳修行と呼ばれるようになる。
戒壇
正式な僧侶としての資格(「戒」) を授ける場所。日本では、鑑真をまねいて754年はじめて東大寺に設けられた。鑑真が日本に伝えた戒は小乗仏教のものであったが、最澄は比叡山に新たな戒壇を設け、大乗仏教の本来在家の修行者に向けられた。大乗菩薩大乗菩薩戒をもって僧となる制度を主張した。最澄は朝廷の許可を求めたが許されず、その没後に再現した。
『山家学生式』(818年)
天台宗の僧侶育成の方針と規則がまとめられている。天台宗を開く勅許を得た最澄によって真の仏道を信ずる心が説かれている。
『顕戒論』
僧侶の資格を与えるときに授ける戒(僧として守るべき規律)が、奈良仏教では小乗戒(小乗仏教における戒律)であったのに対して、大乗菩薩戒(大乗仏教における戒)によって 僧になる資格を与えることを主張している。