宗教改革|フス,ルター,カルヴァン

宗教改革 Reformation

宗教改革とは、ヨーロッパに広がったローマ=カトリック教会の腐敗を批判し、個人の純粋な信仰心に基づいて信仰を浄化しようとした運動。14〜15世紀のウィクリフフスらの反教皇運動を先駆とし、1517年にドイツの神学者ルター「95か条の意見書」を教会の扉に掲げて、カトリック教会の腐敗を批判したことに始まった。スイスでは、カルヴァン・ツヴィングリによって展開された。宗教改革によって、キリスト教会はカトリック(旧教)とプロテスタンティズム(新教)に分かれた。またイギリスでは、へンリ8世によってイギリス国教会がカトリック教会から分離した。1555年のアウクスブルクの宗教和議において、諸侯に新教と旧教両者の信仰の自由が認められたが、その後も三十年戦争などの対立がつづいた。カトリック教会の権威主義・儀式的形式化・聖職の位階制度を否定し、人間はただ神への純粋な信仰によってのみ義とされるという福音主義を広めた。中世的な教皇権の支配から個人の信仰心を解放した点で、宗教改革ルネサンスとともに近代的な個人の自覚をもたらし、個人の自由の意識を高める精神的な原動力となった。

目次

ボヘミア(チェコ)での宗教改革

ボヘミア(チェコ)では、ヤン・フスが宗教改革の先駆者として大きな活躍をする。カトリック教会の教皇や贖宥状(免罪符)を民族主義的教会改革を目指した。カトリック教会の反感を買い、拷問にかけられた末に火刑に処せられた。 このことにボヘミア(チェコ)の民衆は激怒し、欧州全体を巻き込んだ反カトリック運動につながる。

ドイツでの宗教改革

1517年にドイツのマルティン・ルターが「95か条の意見書」を教会の扉に掲げたことから、ルター宗教改革運動が始まった。当時、教会は贖宥状(罪が赦される御札)を販売し、この贖宥状の販売にルターが不信感を持ち、教会と対立することになる。ルターは当時、グーテンベルグなどに代表される急速的に発展した印刷技術を駆使し、教会を批判する書籍やポスターを大量に印刷し、宗教改革を推し進めた。ルターはのちにプロテスタント教会を各地に展開する。

フランスの宗教改革

1536年に刊行されたカルヴァンキリスト教綱要』”>『キリスト教網要』はヨーロッパ中で爆発的に広まり、カルヴァン宗教改革の中心的な人物となった。カルヴァンが説いた予定説職業召命観は、単に宗教改革運動の原動力となっただけでなく、その後の資本主義、アメリカ合衆国の建国など世界史的にも大きな影響力をもつ。

宗教改革の動き

1376年 ウィクリフ宗教改革
1378年 教皇庁大分裂(シスマ)
1403年 フスの宗教改革運動
1415年 フス、火刑にされる
1419年 フス戦争(~36年)
1499年 スイスがハプスブルク家から独立
1509年 エラスムス『痴愚神礼讃』
1514年 ドイツで免罪符の販売開始
1516年 トマス=モア『ユートピア』
1517年 ルター『95か条の論題』
1521年 ヴォルムスの帝国議会
1523年 ツヴィングリの改革
1522年 ルター、ドイツ語訳新約聖書
1524年 ドイツ農民戦争(~25年)
1533年 イギリスヘンリ8世、キャサリン妃と離婚
1534年 イエズス会設立。
1536年 カルヴァン キリスト教綱要』”>『キリスト教綱要』
1541年 カルヴァン、ジュネーヴで二度目の宗教改革。
1545年 トリエント公会議
1562年 ユグノー戦争


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