国学|古代日本の和歌,物語,神話の研究と日本精神

国学

国学とは、『古事記』や『万葉集』など、古代日本の和歌、物語、神話の研究を通して、仏教儒学などの外来思想が日本に入ってくる以前の、日本独自の精神や生き方を追究しようとする学問である。特に江戸時代末期に大きく発展したが国学の発展は日本の民族意識を高め、明治維新につながる。

目次

思想背景

古代・中世の日本では、学問は寺院を中心に行われていたが、仏教や儒教の経典や経文を読むためには、漢学が必要であった。そのため、アジア諸国、特に中国を中心とした学問であった。
しかしながら、江戸幕府が朱子学を官学として採用し、藤原惺窩林羅山の活躍から始まり、日本思想や学問に対し、その独自性を強めていく。彼らの学問は政治理念となり、幕府にも強い影響を与えた。
しかし、17世紀末から18世紀初めの元禄時代には、儒学に対して新しい学問が次々に生まれた。日本陽明学派とされる中江藤樹や熊沢蕃山、古学派といわれる山鹿素行伊藤仁斎荻生徂徠らである。とくに古学派は、古代の原典を精読する実証研究を通して、古代人の思想を探ろうとする学問方法を確立した。こうした思想背景から国学が生まれ、また欧米諸国の軍事的・政治的圧力も伴い、明治維新につながった。

尊王攘夷運動や国粋主義運動への影響

日本人としてのあり方を模索する国学は、当時の人々に、藩の枠を超えた国家意識をめざめさせる一つの契機となった。いわゆる近代国的ナショナリズムにつながった。一方で、復古的・排外的な側面が外来思想批判へとつながり、幕末から明治にかけて尊王攘夷運動や国粋主義運動へ大きな影響を与えた。

契沖 1640‐1701

契沖は国学の先駆者で真言宗の僧である。自由で実証的な学問方法を確立した。主著は『万葉代匠記』

荷田春満 1669‐1736

荷田春満は京都の神職である。契沖と伊藤仁斎の学問に触れ、古語の研究により古代日本の精神を明らかにしようとした。主著は『万葉集』、『創学校啓』。

賀茂真淵 1697‐1769

賀茂真淵は、契沖の実証主義的側面や荷田春満の古道の精禅を尊重し、彼らの姿勢を統合した。国学を学問として体系化した。主著は『国意学』『万葉考』『歌意考』。

本居宣長 1730‐1801

本居宣長は国学の大成者として知られる。賀茂真淵との交流からその実証的研究を受け継ぎ、『古事記』を通して古道を確立した。主著は、『古事記伝』、『源氏物語 玉の小櫛』『玉勝間』。

塙保己一 1746‐1821

塙保己一は、江戸時代後期の国学者で、幼少期に失明、のちに総検校(そうけんぎよう)となる。賀茂真淵に六国史を学ぶ。和学講談所を開設。実証主義的な史料研究を行い、近代的な歴史学につながる。主著は、『群書類従』(ぐんしよるいじゅう)で完成まで40年を費やしたといわれる。

平田篤胤 1776‐1821

平田篤胤は、江戸時代末期の国学者で秋田藩士の家に生まれ、本居宣長の書に啓発されて国学への志を強めた。本居宣長の死後の門人を自覚し、復古神道を完成させた。現存の社会道徳は、産霊神(むすびのかみ)によってできたものであり、神がみの子孫である天皇への服従こそ、神の道であるとした。本居宣長が大成した国学を、一つの運動にまで高め、幕末の尊王攘夷運動に影響を与えた。主著『霊能真柱まもの』、『古道大意』、『古史伝』。

四大人(よんうし)

江戸時代の契沖、賀茂真淵本居宣長、平田篤胤の四人の国学者は四大人(よんうし)と呼ばれる。ここでいう大人とは男性の師匠や学者につける尊称を意味する。


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