公議政体論
公議政体論は雄藩などの有力者を集めた議会を設置し、ここで議論をしながら政治を進めていこうとする考え方を公議政体論という。現在の国会のもとになるような考え方で後藤象二郎や坂本龍馬によって提起された。彼らの船中八策にその思想が見られる。諸藩や民間から藩の垣根や身分を超えて人材を育成・登用して、幕藩体制から中央集権に近い政治体制を築こうとした。
公武合体論
幕府は朝廷と幕府の協力体制を提起する公武合体論や諸侯会議論によって議会を作り、体制維持の限界がきた幕府を改革しようとしたが、尊王攘夷から開国派やそれを前提とした倒幕論が広まるにつれて、より推し進めたヨーロッパ型の議会制度を求める声が強くなった。
アメリカ・ヨーロッパの議会制度
アメリカやヨーロッパの議会制度をモデルとして、日本に議会制度を輸入しようとした。
徳川慶喜
徳川慶喜が強まる薩摩藩の武力行使を避ける形で、大政奉還を申しでると、公議政体論の現実性を増した。幕府の御用達の学者である西周は徳川慶喜を議会の長とし、そのもとに、議政院と呼ばれる(上院・下院)を設置するよう促した。自ら統治権を放棄し、朝廷に渡す一方で、薩摩藩の武力行使の大義を無くし内戦を避けると同時に、朝廷に戻したところで実権は徳川慶喜が牛耳ることができるという、高度な政治的判断を意図していたと評価される。
船中八策
坂本龍馬や後藤象二郎らが提言した船中八策も公議政体論に近い。船中八策には、大政奉還や二院制議会制の設置が提起されており、後の歴史は船中八策に近い形で刻まれていった。