マルクスの生涯|共産主義への活動と貧困

マルクスの生涯

マルクスは、共産主義を実現のために尽力したドイツの哲学者、思想家、歴史学者である。マルクスの考え方は、マルクス主義として世界中の多くの人に影響を与えた。ボン大学で法学を学んだが、ベルリン大学で哲学・歴史等で学んだ。ヘーゲルやフォイエルバッハを学んだが、後に精神より物質に重きを置くようになる。(唯物論)プロシア政府に追われてからはパリやベルギー、イギリスで研究や共産主義運動の活動を行った。マルクスの思想・哲学や経済学は多くの人々に影響を与えた結果、ロシアや中国など-発展が阻害される結果となったものの-社会主義・共産主義国を生み出すことになった。

マルクス

マルクス

マルクスの生誕

ドイツのライン地方のトリーアに1818年、ユダヤ人の家系として生まれた。父は弁護士で裕福で進歩的な家庭であった。父の影響からマルクスは17歳のときボン大学の法学生になったが、法学だけでなく哲学や歴史学にも興味をもった。広範囲に活動し、父親の進言もあって、その後、ベルリン大学に転学した。ベルリン大学では哲学を専攻したが、博士論文の仕事に取りかかったのは、父が死んださい、自分の金銭的事情や生涯の見通しについて考慮せざるをえなくなった後であった。この論文は1841年に受理されたが、希望していた大学の講師職は得られなかった。

ジャーナリズム

大学の講師職を逃した彼はジャーナリズムに転向し、政治問題や社会問題について大いに活躍した。1842年には『ライン新聞』の主筆になった。だが、政治的に批判的であった、プロシア政府は『ライン新聞』に圧力をかけたため、1843年、結婚したてのマルクスは若妻イェニーを連れてパリにわたらざるをえなくなった。そこで『独仏年誌』のために執筆を始めるが、この企てもまた失敗に終わる。『独仏年誌』の革命的考えのゆえに、プロシア政府はこの編集たちの逮捕状を発効させた。この一件がきっかけとなり、マルクスがプロシアに帰れなくなることを決定づけた。

『共産党宣言』

マルクスはフランスにとどまって自らの政治的考えや哲学的考えを発展させ、フリードリッヒ・エンゲルスとの交友関係を築いた。1847年、彼はイギリスのロンドンに行って共産主義の新たな結成会議に参加した。エンゲルスと共同で、この同盟の教説の簡単な宣言文を起草する任務を託された。この宣言、『共産党宣言』として1848年に出版された。

政治的不評

これまでマルクスの革命的思想は、プロシア、フランス、ベルギーでは政治的に大きな不評をかっていた。そこで1849年、彼は家族をロンドンに住まわせて、その地で余生を送ることになる。それ以降、数年のあいだ、彼にはすべてが貧しく過酷であった。一家は生活費にも困窮していたうえ、子どものうち、ふたりが幼くして亡くなり、おまけに8歳になったばかりの長男エドガーまで次いで病死した。

『資本論』の発表

不遇の中、マルクスは研究に情熱を注ぎ、多くの新聞記事や自らの著『資本論』の草稿を書き、あらゆる種類の政治的議論や論争にも加わった。彼が50代になるころまでには、彼の考えは確立されたものになりつつあった。『資本論』は1872年にロシア語に翻訳されて、国際的に広く読まれるようなる。実力とともに知名度を確立していたマルクスは、ヨーロッパ全体の志を同じくする理論家たちと交流をかわした。しかし、晩年、孫が幼いまま亡くなり、1881年にはマルクスと共に歩いてきた妻が長い闘病の末に亡くなることとなる。さらに1年後、マルクスの娘のひとりが死ぬ。マルクス本人はその翌年、183年3月14日にその一生を閉じた。マルクスはハムステッドのハイゲイト墓地に葬られた。なお、三巻からなる『資本論』のうち、二巻と三巻はマルクスの死後、エンゲルスによって残された原稿編集され、出版された。

多数の遺稿

マルクスは書き残した文書は膨大で、今日、旧東ドイツで準備されている彼の著作は、ほとんど百巻に達する。またそれにふさわしく、作品の注釈書、批判書、解説書もそれに比例して数多く出され、数千冊にのぼる。このことは、マルクスは、第一線で行動的に振る舞う研究姿勢から、晩年は執筆活動を中心とする研究姿勢へと変化したことを物語っている。

フリードリッヒ・エンゲルスが送った告別

今日のプロレタリアの解放に貢献することであった。彼はプロレタリアに自分たち自身の立場と欲求を意識させ、そして自らの自由を勝ち取ることができるための条件を意識させてくれた最初の人物であった。闘争が彼の活動の場であった。そして彼は、ほとんどのひとが対抗できなかった情念や頑迷さや成功と戦った。

その結果、彼はこの時代の、ひとから最も憎まれ中傷された人物となった。(中略)彼は死んだ。シベリアの鉱山からカリフォルニアの海岸にまでおよぶ数百万人の革命的同志の労働者たちに愛され、尊敬され、悼まれながら。

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