プロテスタンティズム|宗教改革,明治維新

プロテスタンティズム(新教) Protestantism

プロテスタンティズムとは、16世紀の宗教改革によって、ローマ=カトリック教会から分離したキリスト教の各派。主に信仰による義認(信仰義認説)と聖書を信仰の唯一の根拠(聖書中心主義)を中心に置く宗派である。ルターカルヴァンなど宗教改革者の思想の流れを汲む。カトリック派の教理や伝統に対し批判的な立場に立つ。
日本には明治維新の頃に宣教師とともにプロテスタンティズムが伝えられた。

歴史的事項

1529年のシュパイエル国会でのルター派を禁止する決議に対して、改革者たちが抗議(プロテスト)したことからプロテスタント Protestant(抗議する人)と呼ばれるようになった。この呼び方は、カトリック側から改革者たちを呼んだものが、一般に宗教改革運動にたずさわる人を広くさすようになった。なお、日本ではカトリックが旧教と呼ぶのに対し、新教と呼ぶこともある。

プロテスタンティズムと日本

明治維新とともに欧米の宣教師によってキリスト教のプロテスタンティズムが移植された。
知識層に浸透したキリスト教の、唯一神観念と厳しい倫理観は、日本人の近代的自我の確立に大きな影響力をもつようになった。一方で、神のもとの平等を説くキリスト教は、明治
期の価値観と激しく衝突することになり、その葛藤を乗り越えることが当時日本のキリスト教徒にとって課題の一つとなった。明治維新の著名なキリスト教者として、日本プロテスタント教会を設立した植村正久、同志社大学を設立した新島襄、『武士道』の新渡戸稲造『代表的日本人』内村鑑三がいる。

植村正久

植村正久は、日本プロテスタント教会の指導者で、伝道と教会設立に努力した。

新島襄

新島襄は、幕末に渡米し、帰国後、キリスト教の立場から、思想、社会事業、教育に尽くした。同志社大学の創立者である。

新渡戸稲造

新渡戸稲造は、内村鑑三とともに札幌農学校に学び、キリスト教の洗礼を受けた。農政学を中心に幅広い教養を身につけた教育者で、国際親善にも尽力し、「太平洋のかけ橋とならん」ことを掲げ、国際連盟事務次長にも就任した。英文で『武士道』を著し、武士道は日本の精神的支柱であり、かつ、キリスト教を受け入れる下地でもあるとした。

内村鑑三

内村鑑三は、留学中、自らのもつ聖書の扉に「世は日本のため、日本は世界のため、そしてすべては神のため」と書き込み、自らの立場を「キリスト教愛国」とした。
日本人は武士道精神に基づく至誠な道徳心をもつとして、JapanとJesusの二つのJに生涯をささげることを決心し、1891年の教育勅語不敬事件では、良心に基づいて最敬礼を行わなかった。(不敬事件)足尾銅山鉱毒事件では経営者の責任を追及し、日露戦争では非戦論を唱えるなど、キリスト教の倫理に基づく理想主義を貫いた。その後、無教会主義を唱え、教会や儀式にとらわれず、自己の信仰のあり方に重心をおいた信仰を確立 していった。