ソフィスト|古代ギリシアの知識人,相対主義と弁論術

ソフィスト   sophists

 

古代ギリシアで活躍した弁論家たちを総じてソフィストと呼ぶ。プロタゴラスゴルギアス・プロディコスらがその代表である。彼らはしばしば相対主義の立場にたち、ソクラテスやその弟子たちと敵対関係にあった。ソフィストは、知恵のある人・賢者という意味であるが、前5世紀頃には古代ギリシアポリスを巡回し、謝礼金をもらいながら教養や弁論術を教える教師や弁護士、政治家をさすようになった。ソフィストが活躍した背景としては、アテネの民主制が発達し、相手を説得して議論に勝つための弁論術や広い知識が必要とされるようになったことにある。

ソフィスト ゴルギアス

ソフィスト ゴルギアス

ソフィストが生まれた背景

古代ギリシャの各ポリスがエーゲ海を中心に経済を発達させているころ、オリエント世界では、アケメネス朝ペルシャが勢力を拡大させて大帝国を建設した。やがて、ギリシャペルシャは勢力圏を争うようになり、ペルシャ戦争(前500〜前449)が勃発する。戦争は、アテネを中心とするギリシア連合軍が勝利し、その功績者がポリスの市民達であったため、市民の政治参加が実現した。ポリスの民主主義が発達した結果、暴力的な強さよりも、弁論術や政治能力が評価されるようになった。そうした実用的な能力が高い人物がソフィストとして活躍するようになった。(参考:アテネの民主主義

ソフィストの活動

ソフィストは政治的な活動を行った一方、人間教育や弁論術を行った。人間的超越性(アルケー)を教育し、社会で活躍できる優れた市民を育成することをそのなりわいとしている。
政治活動においては弁論術に優れ、政治や裁判において、言葉で相手を説得して従わせる技術を磨き、自らの主張を通すことを目的とした。ソフィストが教え、自ら追求したものは、弁論術を含めた技術的で実用的な知識であり、決して知識のための知識ではなかったと批判的に語られることが多い。しかし、その一方で、ソフィストの長けた弁論能力は、学術的に大きな成果をあげたことは否定できなく、高く評価をする声もおおい。

ソフィストの相対主義

ソフィストは、各地をめぐりその弁論術や教養を教えたが、その活動の中で、国や民族によって風俗や法律が多様であることに触れることが多かった。そのため、絶対的な真理を否定し、真理の相対性を説くにいたる。価値論において、人それぞれの多様な価値があり、ひとつの価値というものは存在しない。同様に認識論において、認識は“認識している人間”を無視してはありえない。主観を通しての認識しか可能ではないとすれば、真実とは客観的には捉えられず、そもそも始めから存在しないのではないか。このようにソフィストは、相対主義的不可知論に立った。

思惟

ソフィストは、真実の存在はありえず、あるのはただ相対的な思惟だけであり、パルメニデスと同様に思惟と存在が同じとする。しかし、パルメニデスが一にして不動な存在にアクセントを置いた存在と思惟の位置であったのに対し、ソフィストは、思惟にアクセントを置いた思惟と存在の一致である。ソフィストにおいて、思惟は原則として、個人の任意であり、思惟の如何によって、存在はどうにでも変わる。思惟は言説と不可分な状態にある。

法(ノモス)と自然(ピュシス)

ソフィストにおいて、法(ノモス)と自然(ピュシス)の区別が取り上げられた。以前にはノモスは、神の権威のもとに永遠に普遍に妥当するものとされてきたのであるが、ソフィストの相対主義は、法(ノモス)は実は単なる規約であると見抜いたのである。よって、法(ノモス)は自然から区別さなければならない。法(ノモス)は、単なる約束事であって、破っても差し支えないが、しかし、自然の法は破ることはできないのである。ソフィストの法(ノモス)の発見は、逆に絶対的なものとしての自然を認めることになる。

自然哲学者とソフィストの比較

自然哲学とソフィスト

プロタゴラス

プロタゴラスは、エーゲ海北岸、トラキア地方のアブデラで生まれ、ソフィストとして活躍した。諸国を遍歴し、優れた弁論術によって評判を得た。ソフィストと名乗り、教師として報酬をもらうことを正当と考えた最初の人とされる。アテネで40年間活動したが、無神論者として告発され、アテネを追放されることになる。シチリア島へ向かう途中、船が沈没し死んだ。彼は諸国を回った経験から唯一絶対な基準や普遍の真理はなく、あるのは個々の人間による主的な判断のみであるという考えにいたり、その意味で「人間は万物の尺度である」という有名な言葉を残した。プロタゴラスは人格高潔な人物として伝えられていたが、彼の説いた相対主義の思想は、各人の価値の違いを認めた一方で,普遍的な道徳や価値観などを否定した。

ゴルギアス

ゴルギアスはシチリア島のレオンテイノイに生まれた哲学者でソフィストの一人である。エンペドクレスに学んだとされる。アテネに外交使節団の団長として赴いて以来、有力なソフィストのうちの一人として活躍し、弁論術や修辞法を得意とし、散文の文体論にも貢献している。100歳以上まで生き、断食によって,自ら命を絶ったとされる逸話が残っている。彼は、弁論術の専門家として名を上げ、当時、哲学者ソクラテスを論敵として議論している。ゴルギアスの弁論術は真実や自分が真実だと確信していることを語るのではなく、相手を説得するということに重きを置いていた。したがって、議論されている中身についての知識よりも相手の論理を突き崩し、言い負かす知識や技術を身につけることを重要だと考えた。