ジョン・ロック|世界についての知識はすべての経験に基づく

ジョン・ロック John Locke FRS 1632~1704

ジョン・ロックはイギリスの哲学者である。政治家。主著は『人間知性論』、『統治二論(市民政府論)』、『寛容についての書簡』。経験主義の基礎づけを行い、世界についての知識はすべての経験に基づくと説明する。また、政治的には社会規約説、抵抗権を主張し、自由な民主主義を説く。『統治論』で展開された国民主権・権力集中の否定(権力分立)・立法権の優位・抵抗権などの思想は、名誉革命を根拠付けることになり、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言にも大きな影響を与えた。(ジョン・ロックの政治哲学ジョン・ロックの経験論

ジョン・ロックの生涯

ジョン・ロックスピノザと同じ1632年にイギリス南部のリントンで生まれる。当時のイギリスは、クロムウェルの革命、チャールス二世の王政復興を経て、さらにオレンジ公ウィリアムの名誉革命に至る動乱期であった。ピューリタンの家に生まれ、父は弁護士で地方の判事をつとめ、チャールズ一に反対して戦った。また、新興地主(ジェントリ)であった。、ウェストミンスター・スクールに入学し、ついでオックスフォードのクライスト・チャーチで哲学や医学を学び、1656年に彼は修士の学位を得るまでそこにとどまりつづけ、1664年には道徳哲学の監察官に任命される。特に医学においては観察と実験を重んじる経験主義的方法を学んだ。ロンドンのアシュリ卿と交際を結んで、アシュリ家の侍医・家庭教師となった。アシュリがシャフツベリー伯に叙せられると、政府の要職を与えられた。当時のイギリスは絶対王政から革命をへて市民社会へと移行する時期にあたり、シャフツベリー伯がホイッグ党の指導者として、王政復古後のチャールズ2世の専制政治に反対する運動をすると、ロックも行動を共にし、専制政治を批判して、民主政治を基礎づける『統治論』を書き始めた。しかし、シャフツベリー伯の反王政運動が失敗すると、83年にオランダに亡命し、そこで『人間知性論』を完成させた。この時、オレンジ公ウィリアムをイングランドの王位につける計画にも深く関与している。1688年の名誉革命が成功すると、翌年1989年に後にメアリ女王となるオレンジ公の后をともなってイギリスへ帰国した。1690年、『統治論』、『人間知性論』を発表した。そのころには健康を害していたが、新政府の高官につき、その後もさまざまな著作を公刊して、名誉革命期の代表的な思想家として名声を高めた。

ジョン・ロックの略年

1632年 イギリスで生まれる
1652年 オックスフォード大学に入学
1666年 シャフツベリー伯と知り合う
1672年 アシュリーがシャフツベリー伯爵に叙せられ、大法官になる
1683年 オランダに亡命する。シャッフツベリー伯死去
1688年 名誉革命。翌年イギリスに帰国
1689年 イギリスへ帰国
1690年 『統治論』、『統治論(市民政府論)』出版
1704年 死去

経験主義

ロック以前、人間は、生まれつき、同一律、矛盾律、道徳、良心、神などの生得観念をもつと主張されていたが、ロックは、人間は生まれつき、善や悪や神の観念を持っているわけではなく、何の学習もせずにそのような観念を持つわけではないと主張する。「精神のうちに存在しているものはすべて最初は感覚のうちにあった」人間ははじめは白紙の状態(タブラ・ラサ)にあり、知覚によってここに文字が書き込まれる。よって人間の知識は、外的な経験に由来する。そして、それは反省ないし、内省から生まれるのである。この後、理性を使って、こうした経験から結論を引き出していく。そうすることで、初めて普遍的な命題、法、数学の真理などにたどり着けるのである。デカルトが感覚に基づく経験的知識は信用できないとしたことに対し、ロックがコモンセンスに頼るべきで、それは蓋然的・確率的なものにすぎないが、直感的な洞察、演繹的な推論を用いれば、経験的な知識がどれくらい確からしいかを評価できる。

『人間知性論』ロック

さて、そこで心をいわば文字の書かれていない何の観念も持たない白紙(tabula rasa)であると仮定しよう。この心はいかにして観念を備えるようになるのか。忙しく、限りない人間の空想力がほとんど無限の変化を持って描いたかの膨大なる貯蔵を、推理と知識のすべての材料を心はどこから得るのか。これに対して私は一語を持って、「経験から」と答える。この経験にすべてのわれわれの知識は基づくのであり、結局知識は経験に由来するのである。(『人間知性論』

 ジョン・ロック


ジョン・ロック

経験

経験には外官と内官によるものの二種がある。外官は感覚であり、内官は反省、思惟の観念と意志の観念を得られる。

観念

観念には、感覚および反省によって直接得られる単純観念と2つ以上の単純観念を結合することによって得られる複合観念がある。とくに単純観念は下記の4つが挙げられる。

観念2

  1. ひとつの外官からくるもの。例)色、音、匂い、味、暖かさ。
  2. 2つ以上の外官からくるもの。例)延長、形、運動等
  3. 内官からくるもの。例)記憶、判断、信仰
  4. 外官と内官の両方からくるもの。例)快苦、存在、力、信仰。

観念3

特に感覚から得られる観念は、第一性質と第二性質にわけられる。第一性質は、物体がどのような状態にあろうとも、物体から絶対に分離できない性質であり、人間がこれらの性質を受け取るさいに、生み出される観念は物体のもとにあるその性質をほぼそのまま現実化している。「延長」「個体性」「可動性」のもの。第二性質は我々の感覚内において生じるものであり、味、色、においなどの性質がある。たとえば、腐った卵という物体から影響を受けて出来上がった性質にすぎない。

知識

経験主義において真理は2つの観念の正しい一致・不一致のことをいう。観念と事物の一致ではなく、観念相互の関係が真理の基準である。ただし、単純肝炎と実体の観念は観念と事物の一致が成り立つ。なお、知識には以下の三点がある。

直観的知識、論証的知識、感覚的知識

直観的知識・・・様々な観念の間の関係を、人間は推論を通じて知覚していく。そのとき直接的だったときの知識。
論証的知識・・・人間の知覚が間接的な形で複数の観念を結びつけるときの知識
感覚的知識・・・いっそう直接的に得られる知識

スコラ哲学

外的な対象に対応する観念を外的な対象から直接に受け取る。この経験主義はスコラ哲学に強烈な一撃を与えた。

アリストテレスを拒否

人間が事物を分類する際に用いる言葉は、事物の「本当の本質」に対応している。ということは、「リンゴ」と言う言葉はすべてリンゴの中にある「実体的な形」に合致することになる。しかし、ロックは、対象の内部に本質のようなものが存在しているという見方を拒否して、「本質」という概念を持ち出さず、「観念」(純粋に心が構築するもの)という言葉を使う。そうすると、現実のたくさんのリンゴを見たあとで「リンゴ」という言葉を作り出し、リンゴというものを分類するという形をとることになる。「事物の現実の存在。この領域に観念が帰属しているのではない。観念とは知性が自分で作り上げたものである。」経験こそ知識の源であり、経験に対して、心が系統だった処理を施す。このような処理の結果を生み出される知識は、実施的な性質を持ち、役立つものである。知識とは、目に見えない抽象的な本質や実体的な、形に合致することはできない。

自然状態から国民信託に基づく国家へ

もともと人間は自然状態、つまり自然法の支配する平和な状態であったが、のちに貨幣が発明され、所有権(生命、自由、財産)の侵害が生じるようになった。そこで所有権を確実なものとするため、国家(政府)に自然権の一部を委託し、争い合いを防ぐようになる。国民の信託により国家は個人の所有権(生命・自由・財産)の保障をするが、国家が違反した場合は、国民は抵抗権をもつことができる。さらに権力の乱用を防ぐため、議会に最高権力を与えるなど、権力分立を説いた。

ジョン・ロック

ジョン・ロック

戦争の起源

ジョン・ロックによれば戦争は専制政治下で絶対君主が人々を支配下におくために武力行使するような場合におこるものであった。

『統治二論』ロック

『統治二論』
第一部でホッブズに近く王権神授説を唱えるバートフィルマーへの反論を行い、ホッブスに変わる新しい考えを提示した。第二部では、政府のルーツを、一番最初は自然状態にある中で、人は自然法に基づく「自然権を享受できない」状態である。ここに政府による社会契約を結ぶことで法律で国民を保護し、自然権を守っているとする。

政府の権威

「権威を持つ者が、法の認めた権力の領域を超え出たとしよう。自分の手元にある力を駆使して、法が容認していない事柄を国民に押し付けたとしよう。・・・そのようなことは、当然、批判や抵抗を受けることになる。権力座にない者が力ずくで他人の権利を侵したときに、批判や抵抗を受けるのとなんら変わりはない。」

政府の権威2

「国民の財産を奪い去って、破壊しようとすれば、あるいは国民を奴隷のような状態貶しめようとするなら、支配者は国民との戦争状態に陥ることになる。そして、神が強制や暴力に抗うために全ての人間に用意した避難所、これに逃げ込むしかなくなる。」

政府は、生命、自由、財産を保護するためにのみ活動する。

「どれほどの数の人間であろうと構わない。彼らが一つの社会や政府を作ることに同意したとしよう。その瞬間から彼らは集団に組み込まれ、一つの政治体を形成することになる。そこでは、多数派が少数派の人を動かし、制限する政府を持つ」

自由主義に基づく近代民主主義を確立した。

「国民は彼らの立法部をその権力を行使しうるような状態に戻す権力を持っている…権限を持たぬ暴力に対する真の救済策は、力をもってこれに対抗することである。」

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