キルケゴールの著作|『死にいたる病』,『あれか、これか』

キルケゴールの著作

キルケゴールは、多くの著作を偽名で発表している。たとえば『死に至る病』はアンチ・クリマクスという名前で出版されている。主著は、『死に至る病』を筆頭に、『あれか、これか』、『哲学的断片』、『不安の概念』、『誘惑者の日記』などがある。キルケゴールは、実存主義の中でも先駆けといえる。

キルケゴール

キルケゴール

キルケゴール

デンマークの神学者、哲学者で、父親は裕福な商人であり敬虔なキリスト教徒でもあった。父の影響から牧師をめざすが、ヘーゲル哲学に傾倒していく。そうした中で本人が大地震と呼ぶ体験をする。キリスト教徒であるはずだった父親の告白に衝撃を覚えた。実は母ではなく他の女にうませた子どもであると言うこと、かって農奴であったこと、神を呪ったこと。このことからキルケゴールは放蕩生活をしながら実存としての自己に目覚めていく。

『あれか。これか』

『あれか。これか』(1843)とは、キルケゴールの文学的・哲学的著作で、倫理的問いについて書かれている。高潔な魂を持つ人格として生きていくために、人生における「あれか、これか」の二者択一の選択を、みずからの全人格を賭けた決断によって行い、自分の誤りや欠陥をただしながら、自己のあり方を自ら選び取っていく主体的な実存を説いている。

『おそれとおののき』

『おそれとおののき』(1843年)はキルケゴールの著作であり、美的実存と倫理的実存を弁証法的に総合した宗教的事実について書かれている。旧約聖書のアブラハムの物語を題材に、人は常識や理性をこえ、神を信じることができるかを問う。アブラハムは、その子イサクを犠牲にささげよと命じられ、3日間の旅をしてモリヤの山に行き、イサクの命を絶とうと剣をふりあげた瞬間、「あなたの信仰はわかった。その子を殺してはならない」という神の声を聞く。道徳的には殺人である行為が、宗教的には神への信仰になるという常識をこえた逆説(パラドックス)を通して、アブラハムがこの世の有限な価値を放棄することによって、永遠の価値を見出し、それによってイサクに象徴される有限なものを受け取り直した姿を描いている。キルケゴールは、この逆説を生きぬく情熱を持った、宗教的実存について説いている。

『不安の念』

『不安の念』(1844)は、キリスト教における原罪に関連して不安を分析している。キルケゴールは、不安とは、罪を犯す自由に対する眩量としてた。

『死にいたる病』

『死に至る病』(1849年)は死に至る病としての絶望に対して考察している。「死にいたる病」とは、魂を死滅される病だえり、それは精神の病としての絶望であり、自己を存在させた根拠としての神との関係を逃れ、真の自己を見失うことをさす。この著作の出版に父から相続した遺産の多くを投じた。憂鬱と衰弱のなかで倒れ、絶望に襲われたキルケゴールの、最後の信仰を記している。

信仰とは自己が自己自身であろうとするとき、同時にはっきりと自己自身の根拠を神の内に見いだすことである。