イデア|プラトン

イデア idea

イデアとは、もともとは、ものの見える形ものの外見や姿という意味で、プラトンは“イデア”に理性によって認識できる真の実在という意味を与えた。英語のidea(思想・観念)、ideal(理想)の語源である。 私達が普通感覚で捉えている、日常世界のものが生成消滅する不完全な時間的存在であるのに対して、イデアは移ろいゆく感覚的なものごとの原型・模範であり、永遠不変の真の実在である。(1)イデアは同じ類に属する多くの個物に共通なひとつのものであり、(2)各々のイデアはそれぞれ絶対に自己同一的、不変化的なものである。プラトンは、個々の事物はイデアの不完全な模像で、イデアの影のようなものであり、イデアを分かち持つ限りで存在性を持つというイデア論を説いた。

目次

イデア論へのソクラテスとピタゴラスの影響

ソクラテスピタゴラスに影響を受けた。ソクラテスが徳や善にかぎって普遍的なものを追求したものを、プラントはより拡大した。全てに渡って、普遍的なものを追及問答を受け継ぐ。ピタゴラスの肉体を越えたところに魂の世界があるという「肉体と魂の二元論」は、プラトンでは「虚偽と真実の世界」と「真実である理想の世界(イデア界)」の二元論として受け継がれた。また、魂の不死や数の重視の思想もプラトンにはある。プラトンの理詰めに追及していく態度は、イデア論にたどり着き、ミュトス(神話)的な説明は、魂論や宇宙論で表される。

イデア論

イデアとは現実に存在する個々のものそのものたらしめる原理・原型すなわち理想であり、永遠不滅な真の実在である。牛には牛のイデア(理想)があり、机には机のイデア(理想)がある。(それゆえ、牛を見て(犬ではなく)「牛」だと我々は理解し、机を見て(椅子ではなく)「机」があると我々は理解する。)ものそのものだけではなく、たとえば、正義には正義のイデア(理想)がある。このイデアそれ自体は感覚的知覚では知ることができない。この理性だけが認識するものであり、完全な理想に対する憧れ、イデアへの恋をエロスという。

  1. 普遍概念としてのイデア論。(ソクラテスの延長線上にある)
  2. 普遍的ではあるが、決して個物から抽象化したものではなく、むしろ、先立つものである。個物よりもイデアの方が先に存在し、個物はイデアに「関与(メテクシス)」(分有)してこそ、はじめて個物になる。個物なるものはイデアを分有し、イデアに関係するかぎりにおいてのみ、個物のものになる。
  3. 個物のものから独立に存在するものであり、生成変化をしない普遍不動のものであり、イデアは独立の実体であって、真にそれ自身である。
  4. 「知」にとってのみ捉えられる。
  5. 現実の個物の理想、ないし、「原型(パラディグマ)」である。
  6. 個物の原因 イデアが存在してこそ、個物に意味が与えられるから、イデアは個の根拠である。

『饗宴』プラトン

エロースは決して困窮しない代わりに富んでもいないものであってさらに知と無知に関しても、その中間にあるものなのです。これはつまり次のようなわけだからです。神々にあっては、知を愛すること無く、知者になろうと熱望することもない。

想起(アナムネーシス) 

イデアは、個別の事物に先立つばかりか、人間に先立つものである。人間がイデアを知りうるのは、生まれる以前にイデアに出会ったことがあり、個別の事物を通じて、それを想い出すからである。個別の事物を通じて、イデアを思い出すことを想起する(アナムネーシス)という。

イデア界

イデアは独自の存在であるからイデアだけで世界を作る。イデア界こそ真の世界であり、イデア界から区別され、イデア界に関与することによって、感覚の世界が従属的に現われる。イデアは感覚的事物から完全に分離されており、感覚的事物はイデアとは別に存在する。よって、イデアは感覚的に捉える現実の個別(つまり我々が生活する普通の世界)は生成消滅する不完全な世界である。この感覚世界はイデアの摸像(影)でしかない。我々生まれる前にこのイデア界を知っており、感覚世界で個別の事物を知覚するとき、このイデア界を想起する。プラトンの底流にはピタゴラスなどの二元論的傾向があり、それが現象を捉える感性と、イデアを認識する知性を二分することとなって表れている。イデアについての出発点は、倫理的イデア、美的イデアを考えることからだった。しかし、後に、論理的イデア(「等」「異」「対立」)などにも考えられ、ついには、存在の全領域を示すようになった。

感覚と魂の二元論

存在には2種類ある。ひとつは、「見えざるもの」常に同一でイデア界=英知界である。もうひとつは、「見えるもの 」常に変化し可視的世界=感覚世界(存在と無の中間)である。このイデアがわかれば、プラトン哲学を理解できる。

プラトニズム

イデアとは、論理的に見れば普遍的概念である。普遍の美があり、普遍の個別が存在している。形而上学的には、現実世界である感覚に先立って存在し、現実世界はイデアによってにかかわることによって存在している。認識論的には感覚を越えた英知によって始めて捉えられる。このようにイデアによって全てまとめられる。このように理想主義や先天主義(あらかじめ存在する原理によって説明する)は二元論的な思考にならざるをえず、こうした考え方をプラトニズムという。

善のイデア

現実のものだけが存在するためには、イデアが存在の根拠として与えられなければならない。このような存在の根拠はイデア相互の間にも成立する。あるイデアは他のイデアがあることによって存在できるとした。そして、イデアの中でも善のイデアは、その中でもすべての存在や認識の究極の根拠である。

『饗宴』プラトン

善がイデア界において理性と思惟されるものとに対する関係は、太陽が可視界において「視覚」と「見られるもの」とに対する関係だ。

線分の比喩

ディアレクティケー(問答 対話法 弁証法)はイデアを認知する唯一の方法である。(数学は仮説を必要とするからこの範囲ではない)。線分の比喩でいうところの、A, Eにあたる直知する働きであり、いわば、「ロゴスがそれ自身で問答の力を用いて、イデアにふれる」働きである。ディアレクティケーは無仮説的にイデアと直接関わるものであるから、一つのものの表裏
と思ったほうがわかりやすい。
A 綜合≒上昇ディアレクティケー
VS
B 分割≒下降ディアレクティケー

A 最高位の善のイデアを目標に低位のイデアから出発し、イデアからイデアへと原因求めて上昇していく
B 無仮説の始原的原理から出発し、普遍的なものを分割して、個別的なものへ、中間を飛び越えることなく、 連続的にイデアの系列をたどっていくことである。


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