ヴァルター・ベンヤミン|哲学と思想,パサージュ論

ヴァルター・ベンヤミン Walter Bendix Schoenflies Benjamin

ベンヤミン(1892.7.15-1940.9.26.)は、ドイツの思想家、文芸批評家である。フランクフルト学派。主著『複製技術時代の芸術』『パサージュ論』。芸術批評やマルクス主義に基づく社会運動などを行った。ユダヤ人であったベンヤミンはナチスを逃れるためフランスに亡命し、フランクフルト研究所の支援のもと『複製技術時代の芸術』や『パサージュ論』など研究を進めたが、ナチスがフランスに侵攻すると、再度、亡命しようとしたものの、自殺に追い込まれた。

 ベンヤミン

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ベンヤミンの生涯

ベンヤミンはドイツ・ベルリンに生まれた。ユダヤ人の裕福な家庭であった。大学で哲学・文学を学び、ユダヤ教の神秘思想やドイツ観念論マルクス主義に影響を受けた。1933年、ナチスがドイツの政権を掌握すると、フランスに亡命した。フランスでは、シュールリアリストと交際し、19世紀のパリの社会についての資料を収集し研究を行う。フランクフルト社会研究所の援助もあり、代表作『パサージュ論』を発表した。しかし、ナチスがフランス侵攻が起こると、再び、パリの脱出をはかるが、国境で足止めされ、ピレネー山で服毒自殺に追い込まれた。

『パサージュ論』

ベンヤミンは、ナチスから逃れるため、パリに亡命した。この人類の野蛮で悲惨な絶望しつつも、救済の希望について思索した。パリをさまよいながら、通りに並ぶさまざまな商品を眺めみるうち、神話的な解釈をし、うずまく商品の中に別の世界の影を読み取った。また、19世紀の古道具にも過去があったこと、あったかもしれないことを追想し、そこから将来の救済の希望があらわれる瞬間について思索した。これらの記録を書き残したが、ナチスから逃れるため、すべての記録を友人のバタイユに預けた。ベンヤミンはパリを逃れようとしたものの自殺に追い込まれた。第二次世界大戦後、原稿はアドルノに渡り、1982年に『パサージュ論』として出版された。

『複製技術時代の芸術作品』

ベンヤミンは、『複製技術時代の芸術作品』において、映画や写真などの複製技術による、新しい芸術に、単なる複製をこえた。意味の再生産という積極的意義を見出した。マルクス主義に傾倒したベンヤミンは、この大衆文化に人間疎外を表現する思想的媒体としての役割を見いだしたが、彼を追い込んだナチスドイツによって政治的プロパガンダに用いられた。

複製技術による新しい芸術

ベンヤミンは絶望の中で、(複製された)絵画、写真、当時、大衆芸術として地位を確立し始めた映画に注目した。写真や映画は高度な複製技術を駆使することによって被写体を様々な形象においてクローズアップできるだけでなく、大量生産することが可能であった。たとえば、チャップリン作品を世界中に作品を広めることによって、自らが置かれている絶望の打破を期待した。

ベンヤミン

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アウラ

アウラとは、畏敬・崇拝の対象となる「いま、ここ」だけの本物としての真正性を意味する言葉である。古来のすぐれた芸術作品は、個展において鑑賞者を驚嘆・堪能させるアウラをもっていることが大切であった。しかし、近代において技術が発達にともなう複製技術による芸術はおれとは芸術を異にする。これらの芸術は、外部から侵入して作品の独自性・一回性を奪い、「アウラの喪失」を招いた。これは大きくネガティブな要素でもあるが、近代芸術作品が大衆芸術としての地位を確立することにもつながった。

近代芸術の娯楽的・遊戯的要素

かっての芸術が畏敬・崇拝の対象であることに対し、複製技術による新しい芸術は娯楽的・遊戯的性格に優れていた。ベンヤミンはこの点に希望を見いだす。チャップリンの映画作品において、チャップリンが資本主義的大量生産によって機械に支配される労働者をコメディで表現したように、たとえば映画が資本主義の閉塞感を打ち破るような、労働による人間疎外を打破するような、このような表現する思想的媒体としての役割をも担う可能性を示した。

プロパガンダ

ベンヤミンは複製技術の芸術による労働者の解放を願ったが、奇しくも、彼を自殺に追い込んだナチスドイツが政治的プロパガンダとして悪用したのが映画であった。また、ナチスだけでなく多くの政治家や団体が自らの政治的野心のため、映像技術を利用し続けている。

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