アリストテレスの倫理学
アリストテレスは最高の善を幸福(エウダイモニア)と考えた。幸福とは人間の本来持っている特質を十分発揮するという。人間の本来持っている特質とは、価値のことで、人間の徳(アレテー)である。理性の純粋な活動を楽しむ観想(テオリア)的生活(哲学的思弁の生活)が最も幸福な生活であるとした。また、徳は態度であるから、人間の意志が入る。また中庸が強調されており、勇気は恐怖と平然の節制は放縦と無感動の、穏和は怒りと無感動の中庸である。
徳の二区分
徳の二区分
知性的徳 教育によって。 真理を認識する知恵・思慮。これらの知性的徳を発揮することが観想的生活。
倫理的徳 習慣によって。 正義・節制・勇気・友愛など。思慮の命ずるところに従った中庸(過多と過少の中間)において成立し、習慣によって身につく。
中庸の具体例
不足・・・臆病、鈍感、卑屈、野暮
中庸・・・勇気、節制、自尊心、機知
過度・・・無謀、放恣、虚栄、道化
正義
動物はポリス(国家)を持たない、ただ人間だけが本性的に国家(ポリス)を作って生活する動物は人間だけでそれはロゴスを持つからである。そして望ましい国家は友愛(フィリア)的なものである。国家共同体も中間的な人々が多数によって政治がなされる国家が、偏っている国家に比べてよりよい政治が行われる。ここでいう友愛(フィリア)はポリスの市民相互の親愛であり相手が備えている善や徳に基づく。
全般的正義、部分的正義、配分的正義、調整的正義
正義
全般的正義-ポリスの法の遵守(合法的なこと)
部分的正義-「公正さ」のこと
配分的正義-地位や能力に比例して名誉や財貨を配分する
調整的正義-各人の価値に関わりなく当事者相互の利害・得失が均等になるように調整する
『ニコマス倫理学』アリストテレス1
「あらゆる知識、あらゆる国家が何らかの狙いを求めているとすると、国家学が目指しているとわれわれの言うところの善とは何だろうか。すなわち行為によって達成される諸々の善のうちの最高のものはなにであろうか。その名前だけでは、ほとんど大多数の意見が一致している。すなわち一般の人も言い、えらい人々も最高の善を幸福と言っており、しかも、よく生きよく行為する事を幸福であることと同じことだと解している。」
『ニコマス倫理学』アリストテレス2
「・・・そして、このような自足的であること・閑暇を有すること・人間に許される限り疲労のないこと・その他およそ祝福された人に帰せられるあらゆる属性は、明らかにこの現実態のものである。従って人間の終極的な幸福はこの[理性の観想的な]現実態であらねばならない。もしこれが生涯の終極まで保たれるなら。」