現象学|現象学とはなにか。

現象学 Phänomenologie(独)

哲学者のフッサールが提唱した哲学で、世界があると素朴に信じる日常の「自然的態度」から、純粋な意識の内面に立ち返り、そこにあらわれる現象をありのままに記述する学問である。日常の経験では、世界は意識を超越して、意識の外にそれ自体で存続し、自我は世界の内部で他のものと並ぶ一つの経験的な事実と信じられている。意識は常にみずからをこえて、意識の外へと向かう志向性を持っているが、現象学は、このような意識の志向する外界の実在性についての素朴な思いこみを括弧に入れて一時保留する。これをエポケーという。そして、「事柄そのもの」へという姿勢で、内面的な純粋意識の事実に立ち返り(現象学的還元)、意識の現象をありのままに記述する。フッサールは、このような純粋意識から世界が構成されるしくみを解明しようとしたが、晩年には、むしろ世界を素朴に信じる「自然的態度」を根源的なものとし、すでに存在するありのままの生きられた世界を生活世界と呼び、それがあらゆる理論に先立ち、その前提となると考えた。このフッサールの現象学は大きな影響を与え、サルトルメルロ=ポンティハイデガー等に受け継がれた。

フッサール

フッサール

ヴォルフ学派

18世紀、ヴォルフ学派のもとでギリシア語のphaimenonとlogosという二語の合成語として現象学という言葉が使われる。このとき、理性によって認識される真理に対して感覚に与えられる現象(仮象を扱う学問分野)と定義される。その他、18世紀、カントなどもこの現象について考察されている。

ヘーゲル

19世紀、へーゲルは『精神現象学』の中で現象学という言葉が使われている。ここでは、精神が真の精神として現出してゆく、現象の論理を指して現象学と名付けられた。素朴な感覚の段階から、絶対知に上っていく成長の論理である。

マッハ

19世紀末、数学者・物理学者のマッハは彼の物理学のなかで現象学という言葉を使っている。マッハは、まず、一切の形而上学的な想定を排除する。原子や分子といった経験を超えたところにある実在や、因果関係といった概念を排除して、感覚的経験に与えられる現象を徹底して考察し、相互の関数的依存関係を記述することを目指した。物理学的現象学と呼ばれ、当時、数学者であったフッサールに強い影響を与えた。

フッサール

当初、数学者であったフッサールはマッハを手本とし、数学や論理学の概念がもつ普遍的性格を心の現象から基礎づけることを試みた。マッハと同様、心の現象の考察する際、その背後に想定される、刺激→興奮→感覚といった生理的な課程を無視して、意識に与えられるあままの現象にとどめ、その内的構造の記述を試みた。この試みを現象学といい、現象学として現在でも研究されている。ドイッではマックス=シェーラーやハイデガー、フランスではサルトルメルロ=ポンティなどに影響を与えた。

フッサール

フッサール

エポケー

エポケーとは、判断中止といい、事実についての判断を差し控え、事実をあるがままに受け入れることである。フッサールの現象学では、外部の世界がそれ自体で実在するという日常的な世界(客観的な世界)を排除し、世界の実在についての判断を一度中止させ(括弧に入れて)、自我の純粋な意識の領域を取り出す方法をさす。

現象学的還元

フッサールによると、ひとはしばしば意識が世界内部の一出来事であるという常識、あるいは、客観的な世界を無条件に前提とし、意識をもその内部にあるという認識をしている。これを自然的態度呼ぶが、この態度をいったん中止して、世界定立を保留してみなければならない。この態度を現象学的還元という。一種の方法論である。

純粋意識

現象学的還元によって得られた純粋意識の本質構造をあるがままに記述することが現象額の目的であり、人間諸科学に新しい展開を与える物であるとフッサールは期待した。

シェーラー

シェーラーは、当時、進行中であった人間・生命諸科学の方法論的改革の試みに方向を示唆し、それを促す影響を与えた。

ハイデガー

フッサールと親密な交流があったハイデガーは、『存在と時間』(1927年)で、現象学に潜む存在論的な問題意識を顕在化して、壮大な現象学的存在論を構想するにいたる。

サルトル

フッサールの現象学は、フランスでも注目を呼び、サルトルは、フッサールの中期の思想を受けぎ、『存在と無』(1943)を発表した。

メルロ=ポンティ

メルロ=ポンティフッサールの後期の思想から影響され、『知覚の現象学』(1945)に発表された。生活世界の概念の中でも身体や間主観性の分析に興味をもった。人間と世界との間に古典的反射学説や行動主義の心理学に代表されるような対立関係をもつのではなく、世界に身を挺した現象学を提唱した。

アルフレッド・シュッツ

フッサールの超越論的分析を退け、日常的な生活世界に目を向けつつ、意味の後世という観点から加盟しようとした。社会の成因が社会の中でみずから形成している意味を捉えようとした。統計を基本とする社会学から距離を置く物であった。

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