カント
イマヌエル・カントは18世紀ドイツの哲学者であり、近代哲学を総合して「批判哲学」とよばれる体系を築いた人物である。理性の能力と限界を精密に分析し、認識論・倫理学・美学・宗教哲学など多くの分野に決定的な影響を与えた。とくに『純粋理性批判』を中心とする三批判書によって、形而上学を無制限な思弁から救い出し、科学と道徳と宗教の新たな基礎づけを試みた点に特徴がある。
カントの思想は、ヨーロッパにおける啓蒙思想の頂点を示すとともに、その限界を自覚させたものとして理解されることが多い。彼は理性を高く評価しながらも、理性が到達しうる範囲を厳格に画定し、誤った形而上学的主張を批判することで、人間の自由・人格の尊厳・道徳法則の自律性を守ろうとした。
生涯と時代背景
カントは1724年、プロイセン領ケーニヒスベルクに生まれ、生涯のほとんどをこの地で過ごした。大学では哲学と自然科学を学び、当初はニュートン物理学に影響を受けた自然哲学の研究者であった。のちに私講師・教授としてケーニヒスベルク大学で講義を行い、論理学や形而上学だけでなく、地理学や人類学など幅広い講義を担当した。彼の生きた18世紀は、自然科学の発展とともに、デカルト以来の合理論と経験論が激しく対立した時代であり、カントは両者を批判的に継承して新たな立場を開こうとした。
批判哲学と認識論
カントの哲学の中心には、認識はいかにして可能かという問いがある。彼はデカルトやライプニッツの合理論と、ヒュームに代表される経験論の両方を検討し、どちらにも一面の真理があるが、そのままでは不十分だと考えた。人間の認識は感性が与える材料と悟性がもつ概念形式との結合によって成り立ち、空間と時間は外界から与えられるものではなく、私たちの感性に固有の直観形式であると論じた。さらに悟性には因果性などのカテゴリーが備わっており、それによって現象世界に秩序が与えられると考えた。
物自体と現象の区別
このような認識論から、カントは「物自体」と「現象」の区別を導き出す。私たちが経験しうるのは、感性と悟性の枠組みを通して現れる「現象」にかぎられ、「物自体」そのものは決して認識できないとされる。したがって、世界の始まりの有無や魂の不滅、神の存在など、伝統的な形而上学が扱ってきた問題は、理論的認識としては決定できないと結論づけられる。この否定は懐疑主義ではなく、むしろ理性が越えてはならない限界を示すことで、道徳や信仰の固有の領域を守ろうとする試みであった。
倫理学と実践理性
カントの倫理学は『実践理性批判』や『道徳形而上学の基礎づけ』に展開される。彼は、道徳は快楽や利益ではなく、「義務」にもとづく行為に表れると考えた。道徳法則は「汝の行為の格率が同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」という定式で示される「定言命法」であり、人間は自律的な理性存在者としてこの法則に自ら従うとき、真に自由であるとされる。この人格尊重の倫理は、のちの人権思想や近代国家論、さらにはヘーゲルやニーチェなど多くの思想家に強い刺激を与えた。
歴史・宗教・政治への視線
カントは歴史・宗教・政治についても多くの著作を残した。彼は歴史を、人類が理性にふさわしい状態へと近づいていく過程として理解し、「永久平和」の構想では、諸国家が法と権利にもとづく国際秩序を築くべきだと主張した。宗教についても、啓示や儀礼よりも道徳を重視し、宗教は実践理性の要求として理解されるべきだと論じた。このような立場は、信仰と理性の調停を図るとともに、国家と宗教の関係を理論的に考える手がかりを与えた。
主な著作
代表的な著作としては、認識論の基礎を築いた『純粋理性批判』、倫理学を展開した『実践理性批判』、美と崇高の経験を論じた『判断力批判』の三批判書が挙げられる。このほか、『道徳形而上学の基礎づけ』『永遠平和のために』『啓蒙とは何か』などがあり、いずれも近代以降の哲学・政治思想・宗教思想の展開に決定的な影響を与えた。これらの著作は、ロックやケプラーらの自然科学や認識論の伝統をふまえつつ、新たな哲学的枠組みを提示した点で重要である。
- 『純粋理性批判』
- 『実践理性批判』
- 『判断力批判』
- 『道徳形而上学の基礎づけ』
- 『永遠平和のために』