アイデンティティ (自己同一性) identity
アイデンティティ(自我同一性・自己同一性・主体性)。私が私であること。アイデンティティとは、自分が何者であるかを知り、自分が自分であることを確信すること。共同体(集団、他者)と共有され、一致した自己の意識の一貫性、まとまりの感覚のことである。ただし、アイデンティティ(自己同一性)という用語は、しばしば多元的・多義的に用いられ、明確に定義づけることは難しい。
アイデンティティの多義性
アイデンティティ(自己同一性)は、「自分が自分であること」「自己の存在証明」である。哲学や心理学においては、自分の連続性、単一性、または独自性・不変性であり、同一性の意識的感覚であると定義づけられる。しかし、一般的にはそのような抽象的な意味で使われることは少なく、アイデンティティ(自己同一性)とは、対人関係や社会の役割を示す言葉であり、たとえば、教師・生徒ととして、課長として、夫・妻として「・・・としての中で生きる自分」という意味で使われることが多い。
アイデンティティの確立
アイデンティティは主に青年期に確立されると考えられている。この時期に第二反抗期を迎え、親への依存から脱し、大人として社会に参加できる自己を形成する。
青年は、様々な社会的役割の中で自らの役割と立場を自覚し、社会に適応できる自分にふさわしい自己をつくり出していく。自我意識が強まる一方で、社会と対立することや苦悩することも多く、その人にとって致命的な問題につながることもある。
発達課題としてのアイデンティティ
エリクソンは、青年期の発達課題としてアイデンティティという言葉を用いた。青年は子どもの自分を脱ぎ捨て、親や大人の価値観と対立して葛藤を発しながら、子どもから大人へと人格の構造を変えていく。青年期は子ども時代の自分をいったん解体して人生を主体的に選択し社会参加の力を持つ新しい自分へと成長するための時期であり、自分のアイデンティティの確立が青年期の課題である。エリクソンによれば、「社会は,その成員を現在の彼となるべく運命づけられた一人の人間として認め,他方,彼はそのような人間となることにより社会から当然のものとして認められる。」とした。学生運動やヒッピー、若者カルチャーなど、青年期の行動の分析に対し、しばしばアイデンティティに基いて論じられる。
アイデンティティの危機identity crisis (identity diffusion)
アイデンティティ・クライシス。社会的存在として、自分が何者であるかがわからなくなり、自分が生きている実感が感じられない心理的な混乱状態に陥る。「自分は何者であるのか」,「自分とは一体何なのか」,「自分は誰であるのか」,「自分とは何をしている者なのだろうか」、「ほんとうの自分とはどういうものなのか」、「自分はどんな人間になれるのか」、「自分はどのような社会的役割を果すべきなのか」、青年期は子どもとしての自分をいったん解体し、大人としての新しい自分へと自己を転換する過渡期なので、子どもとしての自分にも満足できず、また新しい自分にふさわしい行動の仕方や場所も見つからない宙ぶらりの中途半端な状態におちいりやすく、自分のアイデンティティが実感できずに現実感を失い、不安や空虚感にとらわれることがある。
否定的アイデンティティ
自己評価(セルフエスティーム)が低く、自己を肯定的に受け入れられず、自分を無価値な者として否定的に見ること。さらには社会の承認する価値や規範を否定し、非行や暴力的な反社会的行動をとることによって自己を主張する。否定的アイデンティティをもつと、否定的な同一性に憧れ、非行仲間との仲間意識や存在感を得るようになる。社会に対抗する否定的な行動から抜け出し、社会に受け入れられる形で自己を表現できる肯定的なアイデンティティへ成長することが自己の課題になる。
「われわれ像」から疎外された諸要素として内なる他者(否定的アイデンティティ)は、社会秩序の周縁部ないし外部にある人々に投影される。そうして…〈異人〉たちは…スケープ・ゴートとして、秩序のかなたへと祀り棄てられる。『排除の現象学』(赤坂憲雄1986洋泉社208)
エリクソンのアイデンティティの定義
エリクソンによれば、人間にとってアイデンティティというものが不可欠なものである。アイデンティティは、自分が他ならぬ自分として、生き生きとした存在として“いまここに生きている”という実存的な意識であり,同時に、自分が所属するコミュニティの一部であるという意識、自分、コミュニティが世界との一体性をもつという実感であるといえる。「人間が生存する社会というジャングルの中では,自我アイデンティティの感覚なくしては、人は生きているという感覚をもつことができない。」「各人は,自らの存在の潜在能力を充分に実現させるためには,歴史の一定期間内の,特定の地理的場所における,与えられた共同体の中の,限定された一人間としての発達というかけがえのない事実を,…何とか統合しなければならない。」と述べ、その重大性を提言した。
「自分が他ならぬ自分として,生き生きとした生命的存在として生き続けているという実存的な意識であり,同時に,自分が所属する社会の人々とある本質的性格において共通しており,世界との一体性をもつという実感である。」
「このアイデンティティという言葉は,自己自身の中の永続的な同一(自己同一)という意味と,ある種の本質的な性格を他者と永続的に共有するという意味の双方を暗示するような相互関係を表わしている。(「個人的な同一性の意識的感覚」
「個人的な性格の連続性を求める無意識な志向」
「特定の集団の理想と同一性との内的な「一致」(連帯)の維持」
「アイデンティティとは,個人の核心,さらにまた,彼の共同体文化の中核に『位置する』一つのはたらきであって,まさにこれら二つのアイデンティティズ(同一性)のアイデンティティ(一致)を確立するはたらきである。」
「自我の綜合化力をその中心的な心理社会的機能に照らして論議するとき,ひとは自我アイデンティティについて語りうるのであり,また,個人の自己イメージと役割イメージとの統合を論議しているとき,ひとは自己アイデンティティについて語りうるのである。」