J.S.ミル|満足した愚者より不満足なソクラテスがいい

ジョン・スチュアート・ミル John Stuart Mill

ジョン・スチュアート・ミルはイギリス・ロンドン出身の哲学者・経済学者である。主著『功利主義』、『自由論』。ロンドンに生まれ、ベンサムと交友関係にあった父のジェームズ=ミルから幼い頃から英才教育を受けた。ミルは、善悪の基準を快楽と苦痛に求めるベンサム功利主義を継承しながらも、量的な快楽計算を批判し、快楽の質的な差を認め、人間の尊厳やや品位の感覚にふさわしい質の商い幸福を追求する質的功利主義を説いた。また、人間の利他的な心情や同情心を重んじ、人類社会の向上のために尽くして利他的感情を満たすところに幸福を求める、理想主義的・人格主義的な功利主義をとなえた。道徳的義務にそむき、同胞である人類を裏切る行為には、良心から生まれる苦痛が内的制裁を与える。ミルは、各人の個性の自由な発展が、社会全体の進歩につながると考え、思想・言論・良心などの精神的自由の必然性を強調した。

J.S.ミル

J.S.ミル

ジョン・スチュアート・ミルの生涯

イギリスロンドンのペントンヴィルで生まれる。父は、『イギリス領インド史』の著書である東インド商会の副審査官。幼少期からギリシア語とラテン語に堪能で10歳の時には論理学を始めた。13歳でリカードの経済学の著作を読む。幼少期から父親の影響でジェレミイ・ベンサムや経済学者のデイヴィッド・リカードと知り合い政治活動や改革活動に参加する。ベンサムから功利主義を学んだミルは、1822年には功利主義協会を設立し、功利主義の普及につとめた。1823年、父と同じ東インド会社に従業員に加わる。20歳には多くの論文を発表し、活発に議論していたが、知識偏重の教育の行きづまりから精神的危機におちいる。その中で音楽や絵画や詩などに触れて、内面的な感情の豊かさを回復することによって克服した。
これを転機にベンサムの思想を修正し、人間の尊厳や品位の感覚にふさわしい質の高い幸福を説くようになる。特にベンサムの批判者であったトーマス・カーライルやオーギュスト・コントに関心を持つ。1830年ハリエット・テイラー夫人と出会い、彼女の夫の死後、1850年、20年間の交際ののちに結婚する。彼女はミルと共同研究を行い、多くの成果を成し遂げた。その代表が『自由論』である。しかし、発表後、彼女は容態を崩し、1858年結核のためアヴィニヨンでなくなる。ミルは、彼女の死後も研究を続け、1873年にアヴィニヨンで亡くなる。

ジョン・スチュアート・ミルの著書

『自由論』:1859年。人間の個性の自発的な発展のためには、政治的自由、経済的自由、精神的自由が必要であり、思想・良心・言論・研究•結団などの自由を主張した。
『功利主義』:1861年。ジョンスチュアート・ミルによる手直しされたベンサムの倫理学説。幸福には質的な差があるという質的功利主義を説き、人類と連帯する社会的感情や利他的感情を満たす、人間の尊厳と品位にふさわしい幸福の追求を説いた。
『論理学体系』:1843年。17世紀から19世紀にいたる近世自然科学の歴史を根底とし、かつ自然科学の歴史を根底として、帰納法論理の組織化を成し遂げた。
『女性の隷属』:男女平等への強い請願

質的功利主義

ミルは動物と人間の幸福には質的な差があることを主張した。快楽には動物にも共通する感覚的快楽から、人間の尊厳や品位の感覚にふさわしい質の高い精神的快楽までの質的な差がある。このJ.S.ミルの立場を質的功利主義を説いた。

功利主義:満足な豚より、不満足な人間であるほうがよい

J.S.ミルは、『功利主義』は、功利性の原理をいかにして有徳に生きるべきかについての手引きをもたらす道徳学説へと発展させた。功利主義とは、行動を、幸福を増やす程度に比例して正しい行為であり、反対に幸福の逆を生む程度に比例して誤っているということである。そして各人の幸福とは、各人の利益(善)[Good]はその当人にとって利益(善)[Good]であり、それゆえ、一般的な幸福とはすべての人の総計にとっての利益(善)[Good]である。こうしたベンサム流の倫理的功利主義に対してなされた反論を克服しなければならなかった。すべての物は必然的に自分自身の快楽を求めるものであり、快楽は最大の利益(善)である。それではあまりに利己的ではないか。しかし、J.S.ミルは、その反論に対して我々はすべて、その語のある意味での快楽を得る股に行為しているにしても、このことの結果として我々が常に利己的に行為しているということにはならない。通常、多くの人々があきらかに利己的とは判断できないふるまいをしばしば行っているからである。さらにJ.S.ミルは低級な快楽と高級な快楽に分ける。「プッシュピン」は詩作と同じだけ善である、というベンサムの意見を退け、療法の快楽を経験した誰もが低級な快楽より高級な快楽のほうを好むだろう、もし両方とも経験したのにいまでは低級な法ばかり追い求める者たちがいるとすれば、かれらがそうするのは単に高級な方をもとめることができなくなってしまったからにすぎない。つまり、功利主義とはいえ、幸福が最高の価値である、というわけではなく、われわれが普段そうしているように幸福よりも正義を上に置いて日常を生きている。そし人間的な価値のヒエラルキーにおいて正義がきわめて重要であるにしても、それにもかかわらず正義は規則より幸福原理に役立つ、ひとつの価値にすぎない。

『功利主義』 J.S.ミル

動物の快楽をたっぷりと与える約束がなされたからといって、何かの下等動物に変わることに同意する人はまずいないだろう。・・・人問は誰でも、なんらかの形で(人間としての)尊厳の感覚を持っており、高級な能力と厳密にではないが、ある程度比例している・・・満足した豚であるよりは、不満足な人問である方がよく、満足した愚か者であるよりは、不満足なソクラテスである方がよい。

副産物

ミルは、副産物としての幸福であるを唱えた。20歳の頃に精神的危機に陥った。そのことを転機にして、幸福を得る唯一の道は、幸福そのものを目的にするのではなく、幸福以外のもの、たとえば他人の幸福や人類の向上、芸術や研究などの有益な活動に、それ自体を目的として打ち込む。そのなかでその副産物として、幸福を得られると考えた。

同情心

ミルによれば、人間はただ利己的な存在ではなく、他者への同情心、人類と連帯しようとする社会的感情などの利他心を持つ。功利主義の理想は、個人の利己心を満たすだけでなく、他者と結びつく利他的感情を満たし、人類全体の普遍的な幸福を追求することである。ミルは、「おのれの欲するところを人に施し、おのれのごとく隣人を愛せよ」という、イエスの黄金律に示された隣人愛を、功利主義道徳の理想とした。

内的制裁

道徳的義務に反して、他者を裏切ったときに感じる哀心の苦痛。誰もが持つ、人びとと連帯しようとする人類の社会的感覚から発するものである。

ジョン・スチュアート・ミル

ジョン・スチュアート・ミル

『自由論』ミル

『自由論』は、政府や法体系について論じた書でミルの妻、ハリエット・テイラーと共同で書き上げた。我々の個人の行動に干渉することが正当化されるのは、個人の行動が他者に危害を加えるものである場合に限られるとし、民主主義的な個人主義を提唱した。

思想・言論の自由

ミルは、人間は他者に害をおよぼさない限り、自己の個性を自由に発展させ、表現することがで きるという他者危害原則を主張した。個性の発展には、精神的な自由が必要である。そしてその方が個人の自由を制限するよりも、社会、そして人類全体の進歩につながる。 人間は、自由に議論をしながら、他者の批判や反論を受け入れて自己の意見を訂正し、改善しながら漸進的に近づいていく。ミルは、個性の発展と社会の進歩のための条件として、思想・言論の自由性を説く。

各人は他人に危害を与えない限り自由に行為することを許されるべきであり、たとえ他の人がある行為をすることが当人のためになると思ったからといって、それを当人の意思に反して押し付けることは許されない。

その名に値する唯一の自由は、われわれが他人から彼らの利益[善](Good)を奪おうとしたり、それを得ようとする彼らの努力の邪魔をしたりしないかぎりにおいて、われわれ自身の利益[善]をわれわれ自身のやり方で追及するという自由である

ジェンダー論

女性たちがある種のふるまい方を発達させたのは、彼女たちが男性支配に従属させられてきたからであって、彼女たちが生まれつきそのようにふるまう傾向を身につけたいたからではない。男性と女性どちらか一方だけが選択の自由を享受するような関係に男女が関与するのは、それ自体道徳的に悪である。

それは洗練された能力をもち意見や目的を同じくするふたりの男女の場合である。かれらの間には、くだんの最良の種類の平等やそれぞれ互いに卓越した力や能力の類似性が存している。-そのため彼らは、それぞれに相手を尊敬するという贅沢を享受し、交互に発展の道へと導き導かれるという喜びをもつことができるのである。(『女性の隷属』)

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