朝鮮の独立|列強支配からの解放

朝鮮の独立

近代東アジアにおける朝鮮の独立は、単に一時点で達成された出来事ではなく、清朝の冊封体制からの離脱、日本帝国主義支配からの解放、そして南北分断という複雑な過程を含む歴史的プロセスである。朝鮮半島は長く中国王朝の宗主権のもとにありながらも内政の自主性を保ってきたが、19世紀後半になると西欧列強と日本の進出が激化し、その中で「独立」の意味そのものが揺さぶられていった。

冊封体制下の朝鮮と「属国」としての位置づけ

李氏朝鮮は、明・清との冊封関係のもとで対外的には中国皇帝の冊封を受ける「属国」と位置づけられていたが、内政・外交の多くは王朝自身が担っていた。この状態は近世東アジアの国際秩序においては安定した枠組みであり、朝鮮側もこれを通じて安全保障と通商の利益を得ていた。しかし19世紀に入ると、西欧列強のアジア進出と日本の近代国家化が進展し、伝統的秩序の中に組み込まれていた朝鮮の地位は急速に問題化していった。

甲申政変と天津条約による日清両国の「共同干渉」

1880年代、開化派と守旧派の対立が激化するなかで、1884年には日本の後押しを受けたクーデタである甲申政変が起こった。これは短期間で鎮圧され、清軍が主導権を回復したが、日本も朝鮮内政への影響力拡大を諦めなかった。その結果、1885年には天津条約(1885,日清間)が結ばれ、日清両国はともに朝鮮から兵を撤退し、今後出兵する際には相互通告することを約した。この取り決めは、一見すると朝鮮の安定を目的とするように見えながら、実際には朝鮮半島をめぐる日清の勢力分割を制度化するものであり、朝鮮自身の主体的な「独立」からはほど遠い状況を生み出した。

日清戦争と下関条約による法的「独立」の獲得

1894年に発生した東学農民蜂起は、やがて東学の乱として全国的な広がりを見せ、清と日本がいずれも出兵する契機となった。この介入を契機として勃発した日清戦争は、日本の勝利に終わり、1895年の下関条約によって清は朝鮮に対する宗主権を放棄した。条約第1条において中国は朝鮮の「完全独立自主」を承認したとされ、この時点で国際法上の意味では朝鮮の独立が明文化されたことになる。しかし、この独立は同時に、日本が朝鮮半島に優越的権益を確立するための前提ともなっており、宗主権からの離脱が直ちに実質的な主権の保障に結びついたわけではなかった。

大韓帝国の成立と帝国主義下の朝鮮

清の宗主権から離れた朝鮮は、1897年に国号を大韓帝国に改め、皇帝を名乗ることで近代主権国家としての地位を内外に示そうとした。皇帝は軍制改革や財政・行政の近代化を進めたが、国内の政治抗争と列強の干渉によって改革は難航した。とりわけ日本とロシアは朝鮮半島をめぐって対立を深め、やがて日露戦争へと至る。こうした状況を扱う視点としては、朝鮮を帝国主義諸国の勢力圏争いの舞台として捉える帝国主義下の朝鮮のような枠組みが有効であり、形式上の主権国家であった大韓帝国が、実際には列強の圧力の中で多くの制約を受けていたことが理解できる。

東学農民戦争と農民・民衆の抵抗

19世紀末の朝鮮の独立をめぐる動きは、上層部の外交やクーデタのみならず、民衆の運動とも密接に結びついていた。東学の教えに基づく農民たちの大規模蜂起である甲午農民戦争は、朝鮮社会における不公平な租税負担や官吏の腐敗への不満を背景としており、外勢排除と内政改革を求める声を結集したものであった。その思想的基盤となった東学は、平等主義的な性格を持ち、民衆の間に民族的自覚を芽生えさせた側面を持つ。このような民衆の動きは、のちの抗日運動や民族独立運動へと継承され、支配体制に対する底層からの抵抗という重要な位置を占めることになる。

日本の保護国化と韓国併合による独立の喪失

日露戦争後、日本は各国との条約を通じて朝鮮半島における優越的地位を国際的に承認させ、1905年の保護条約によって朝鮮の外交権を掌握した。これは名目的には主権国家の存続を認めつつも、対外的な独立性を奪うものであり、実質的な従属状態への転落を意味した。その後、日本は内政への関与を強め、1910年の韓国併合条約によって朝鮮を日本領に編入した。この段階で朝鮮の独立は完全に喪失し、日本の植民地支配のもとで土地調査事業や産業開発が進められる一方、政治的自由の抑圧や文化政策による同化の試みが行われた。

独立運動の展開と民族国家構想

植民地支配下でも、国内外で独立運動は途絶えることなく続いた。1919年の三・一運動は、民族自決の理念に鼓舞された大規模な抗日デモであり、国内の知識人・宗教者・学生・民衆が連帯して独立を要求した。この運動を契機に、中国上海には大韓民国臨時政府が樹立され、亡命政治指導者たちは共和国体制を構想しつつ国際社会への働きかけを続けた。また、満洲やロシア極東などでは武装独立運動も展開され、これらはいずれも朝鮮民族が自らの国家を回復しようとする試みであった。

1945年の解放と分断国家としての「独立」

第二次世界大戦の終結により、日本が無条件降伏すると、朝鮮は植民地支配からの解放を迎えた。1945年以降、北緯38度線を境にソ連軍とアメリカ軍が進駐し、半島は分割占領される。やがて南には大韓民国、北には朝鮮民主主義人民共和国が成立し、独立国家は回復されたものの、それは南北分断という新たな枠組みのなかでの独立であった。こうして見ると、朝鮮の独立とは、清朝の宗主権からの離脱、日本帝国主義からの解放、そして冷戦構造の中での分断国家の成立という、多段階的で未完のプロセスであったと理解できる。独立の達成は、形式的な主権回復だけでなく、外勢からの自由と民族自身による政治的決定の追求という、長期にわたる歴史的課題であった。