クー=クラックス=クラン|南部再建期の白人至上主義団体

クー=クラックス=クラン

クー=クラックス=クランは、アメリカ合衆国で白人至上主義を掲げて活動した秘密結社であり、黒人やその支持者に対する暴力・テロで知られる団体である。起源は南北戦争直後の南部にさかのぼり、黒人解放と再建政策に反発する白人層の不満を背景に誕生した。その後、20世紀には移民・カトリック・ユダヤ人などへの排外主義も掲げる大衆運動として再編され、アメリカ社会に深刻な影響を与えた。

成立の背景

19世紀前半の南部では黒人の奴隷制が広く定着していたが、南北戦争の結果として黒人奴隷制の廃止が進み、憲法修正第13条憲法修正第14条憲法修正第15条によって黒人の法的地位と黒人投票権が拡大した。これに強く反発した南部白人は、旧来の身分秩序と人種的優位を維持しようとし、その一部が秘密結社を組織して暴力的な手段に訴えるようになった。

第一次クー=クラックス=クラン

第一次のクー=クラックス=クランは、1860年代後半にテネシー州で元南軍軍人らにより結成されたとされる。表向きは社交団体を装いながら、夜間に覆面と白装束で黒人居住区を襲撃し、リンチや放火、脅迫によって黒人や再建政策を支持する白人を威嚇した。とりわけ黒人の選挙参加を妨害することが主な目的であり、暴力を通じて新たな政治秩序の成立を阻もうとした。連邦政府は黒人取締法など差別的立法や治安立法と併せてこの動きを抑えようとし、19世紀末までに第一次の組織は一時的に衰退した。

第二次クー=クラックス=クラン

20世紀初頭になると、第一次世界大戦前後の社会不安や移民の増加を背景に、1915年ごろから第二次クー=クラックス=クランが登場した。第二次の組織は黒人への敵意だけでなく、カトリックやユダヤ人、東欧・南欧からの新移民、さらには急進的労働運動をも排斥の対象とし、「100%アメリカ主義」を標榜した。会員は中間層や地方政治家にも広がり、一時は数百万人規模に達したとされる。集会や行進、儀礼的な儀式を通して結束を誇示し、地方政治に影響力を及ぼしたが、内部の腐敗や暴力事件の露見によって1920年代末には急速に勢いを失った。

第三期以降と現代の動向

第二次組織の衰退後も、名称や象徴を引き継ぐ小規模な集団が各地で存続した。1950〜1960年代の公民権運動期には、学校の人種統合や選挙権拡大に反対するため、いくつかのグループが爆破や殺人を含むテロ行為を行い、国内外の非難を浴びた。現代においては組織が分裂し、規模も限定的であるが、白人至上主義や反ユダヤ主義を掲げる過激派として監視対象となっている。公的機関や研究者は、これらの団体をアメリカの民主主義と人権に対する脅威として位置づけている。

思想と象徴

クー=クラックス=クランの中心的な思想は、白人を優越した人種とみなす白人至上主義であり、プロテスタント系の宗教意識と結びついて展開した。彼らは十字架の焼却や白いローブ、尖った頭巾など独特の象徴を用いて恐怖と神秘性を演出し、集団としての一体感を強化した。こうした象徴や儀式は、支配と排除の関係を視覚的に表現する手段であり、黒人や移民に対する心理的圧力として機能したと解釈されている。

アメリカ社会への影響

クー=クラックス=クランの活動は、南部を中心とする人種秩序の維持に大きく関与し、黒人の政治参加や教育機会を長期にわたって制限した。暴力と脅迫は、法的には黒人奴隷制の廃止が達成された後も、事実上の黒人差別を維持する役割を果たした。また、貧しい黒人農民を土地所有者に従属させるシェアクロッパーの制度や、南部各州の南部諸州の復帰後に制定された差別法などとも結びつき、社会・経済構造全体に影を落とした。

歴史研究と評価

クー=クラックス=クランについての歴史研究は、アメリカ政治史、人種関係史、公民権運動史の重要なテーマとなっている。研究者は、暴力的集団としての性格だけでなく、一般の白人がどのように参加し、沈黙することで支えたのかという社会史的側面にも注目している。また、差別と暴力の思想的背景を考える際には、近代思想や倫理を論じたサルトルニーチェなどの議論も参照されることがある。こうした学問的検討を通じて、人種主義と排外主義がいかに民主主義社会を脆弱にするのかを問い直す作業が続けられている。