憲法修正第15条|人種差別なき参政権保障

憲法修正第15条

アメリカ合衆国憲法の憲法修正第15条は、連邦および州が人種・肌の色・以前の奴隷身分を理由に選挙権を否定したり制限したりしてはならないと定めた条文である。南北戦争後の再建期において、アメリカ合衆国が黒人男性に法的な参政権を与えるために制定した規定であり、黒人奴隷制の廃止を定めた憲法修正第13条、市民権と法の下の平等を定めた憲法修正第14条と並んで、いわゆる「市民権修正」の一角をなす。

制定の歴史的背景

南北戦争の勝利により、北部は奴隷制度を廃止したが、戦後の南部社会では白人による黒人支配を維持しようとする動きが続いた。解放奴隷の地位を実質的に押し下げる「ブラック・コード」と呼ばれる州法が制定され、多くの黒人は形式上自由民でありながら政治的権利を持てなかった。この状況に対し、リンカンの後継者であるリンカン時代からの共和党急進派は、連邦レベルで黒人参政権を保障する必要性を唱え、再建期の連邦議会は南部諸州に厳しい条件を課しつつ、憲法修正による権利保障を進めていった。

条文の内容

憲法修正第15条第1節は、合衆国およびいかなる州も、人種・肌の色・以前の奴隷身分を理由として市民の投票権を否定または制限してはならないと定める。第2節では、連邦議会にこの条文を実施するための立法権限を与えている。すなわち、本条は選挙権の付与そのものを詳細に規定するのではなく、特定の理由による差別的制限を禁止し、その履行を議会立法に委ねる構造をとる点に特徴がある。

黒人参政権の拡大と制限

本条の批准により、南部諸州でも黒人男性が形式的には選挙権を獲得し、再建期には黒人議員が州議会や連邦議会に選出されるなど、政治参加は一時的に拡大した。しかし、白人支配層は識字テスト、投票税、登録手続きの恣意的な運用、さらには暴力や威嚇を通じて、黒人の投票を実質的に阻止した。こうした差別的慣行は「ジム・クロウ制度」と総称され、アメリカ連合国を支えた白人上層の政治文化が形を変えて続いたものであった。

連邦議会による執行立法

第2節に基づき、連邦議会は再建期に選挙権保護のための「執行法」を制定し、連邦政府が州当局や暴力団体を取り締まる法的根拠とした。その後も20世紀に入ると公民権運動の高まりの中で、1965年の投票権法など、新たな選挙権保障立法が制定される。これらの法律は、南部の登録行政に対する連邦監視や、差別的な選挙制度の是正を目的とし、奴隷解放宣言以来の黒人の政治的自由の実現を大きく前進させた。

判例と法解釈の展開

連邦最高裁判所は、19世紀末から20世紀前半にかけては州の裁量を広く認める傾向が強く、憲法修正第15条の適用範囲を限定的に解釈することが多かった。しかし、公民権運動の進展とともに、票の平等価値原則や人種を理由とする区割りの違憲性などをめぐる判決が重ねられ、選挙制度全体を通じて人種差別を排除しようとする方向に解釈が変化した。この過程は、南北戦争後の再建期から現代に至る長い時間をかけた憲法解釈の変遷として理解される。

アメリカ政治史における位置づけ

工業国アメリカの誕生とともに、再建期の修正条項は合衆国を「奴隷制共和国」から「市民の共和国」へと転換させる契機となった。憲法修正第15条は、選挙権を白人男性に限定してきた伝統を変更し、政治的な人民の範囲を拡大する役割を果たした点で、近代民主主義の発展における重要な一里塚である。ただし、実際の政治参加が制度的・社会的差別によって妨げられてきた歴史も長く、その克服の歩みは今日に至るまで続いている。

関連条項・制度との連関

本条は、奴隷制の廃止を定めた黒人奴隷制の廃止ホームステッド法による土地政策とともに、南北戦争後の社会再編の一環として理解される。また、市民権・法の下の平等を規定した第14条と結び付けて、人権保障の体系を考察することが多い。さらに、20世紀以降の選挙権拡大や女性参政権運動、平等思想を巡る哲学的議論では、ヨーロッパ思想史上のニーチェサルトルの議論とも比較されることがあり、政治史と思想史を架橋する論点ともなっている。