黒人差別
概説
黒人差別とは、主にアフリカ系の人びとを人種を理由として不当に低く評価し、排除し、支配しようとする差別と抑圧の体系である。肌の色や出自を劣等視する偏見だけでなく、法律、政治、経済、教育、文化など社会のあらゆる制度に組み込まれた構造的な不平等を含む。とくにアメリカ合衆国では、植民地時代からの奴隷制とその後の制度が長期にわたり黒人差別を正当化してきた。これは単なる個人の意識の問題ではなく、歴史的に形成された支配構造として理解されるべき現象である。
歴史的起源
大西洋奴隷貿易が拡大した17〜19世紀、ヨーロッパ列強とその植民地社会ではアフリカ系住民を非人間的労働力として扱うため、「科学的」人種論などを用いて黒人差別を理論化した。こうした思想は、アフリカやアメリカ大陸での植民地主義、プランテーション経営、強制労働制度を正当化する役割を果たした。また近代国家の形成とともに、参政権、土地所有権、教育の機会などから黒人を排除する諸制度が整えられ、人種に基づく身分秩序が固定化された。
アメリカ合衆国における黒人差別
北米では17世紀以降、アフリカから連行された奴隷労働力に依存した農業経済が成立し、法制度のうえでも黒人奴隷の地位が明確に規定された。19世紀半ばの南北戦争と奴隷解放宣言、そして憲法修正第13条により奴隷制は形式的に廃止されたが、その後も南部を中心に黒人差別は形を変えて存続した。ジム・クロウ法と総称される人種隔離法や投票権制限、リンチなどの暴力は、黒人の政治的・社会的権利を抑圧し続けたのである。
奴隷制と人種差別の制度化
奴隷制のもとでは、黒人は財産として売買され、その身体や家族関係さえ所有者の意思に委ねられた。この非人間的な扱いを維持するため、「白人優越」を唱える人種イデオロギーが発展し、教育や宗教、学問の領域にも浸透した。こうして黒人差別は、経済的利害と結びついた社会全体のシステムとして根づいたのである。
公民権運動と法的平等
20世紀になると、都市化と世界大戦を背景に黒人の政治的意識が高まり、20世紀半ばには公民権運動が全国的に展開した。キング牧師らの非暴力運動や司法闘争の結果、1960年代には公民権法や投票権法が制定され、法制度上の人種隔離は否定された。しかし、これによって黒人差別が完全に消滅したわけではなく、経済格差や居住分離、刑事司法の不平等などに形を変えて残存している。
現代社会における黒人差別の形態
現代の黒人差別は、露骨な人種差別発言や暴力だけでなく、統計的に示される構造的な不平等という形で表れることが多い。失業率や所得水準、教育機会、住宅環境、逮捕・収監率など多くの指標で、黒人は依然として不利な位置に置かれている。日常生活では、職場や学校での先入観、警察による偏った職務質問、メディアにおけるステレオタイプな描写などが、無意識のうちに差別を再生産している。インターネット空間におけるヘイトスピーチも、新たな黒人差別の問題として指摘されている。
黒人差別と人権・国際社会
第二次世界大戦後、ナチズムの経験と脱植民地化の進展を背景に、国際社会では人種差別の否定が普遍的な原則として確認された。国連とその機関は、人種差別撤廃条約などを通じて加盟国に差別撤廃政策を求めているが、実際には黒人差別は多くの地域でなお存続している。教育による偏見の克服、歴史認識の共有、法制度の改善、そして当事者の声を尊重する民主的な議論が、差別解消のために重視されている。こうした取り組みは、黒人に対する差別にとどまらず、あらゆる人種差別や排外主義と向き合ううえで重要な意味をもつ。