アラブ諸国の独立|帝国支配からの解放と独立

アラブ諸国の独立

アラブ諸国の独立」とは、20世紀前半から中葉にかけて、列強の支配下にあったアラブ世界の諸地域が、主権国家としての地位を獲得していった歴史的過程である。第一次世界大戦後の委任統治体制の成立と民族自決の理念、第二次世界大戦後の脱植民地化の波が重なり、エジプト、イラク、シリア、レバノン、ヨルダン、サウジアラビアなどの国家が成立した。これらの独立は、欧米列強とアラブ民族主義勢力との駆け引き、石油資源の利害、イスラーム復興運動などが複雑に絡み合う政治過程であった。

第一次世界大戦とオスマン帝国の解体

近代以前、アラブ世界の大部分はオスマン帝国の支配下にあり、イエメンやアラビア半島の一部を除き、単一の帝国秩序に組み込まれていた。第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北すると、英仏はサイクス=ピコ協定などに基づいて中東分割を進め、シリア・レバノンはフランス委任統治、イラク・トランスヨルダン・パレスチナはイギリス委任統治とされた。戦中、アラブ側はフサイン・マクマホン書簡を通じて独立を期待したが、戦後の講和はその期待を大きく裏切り、委任統治下での民族運動の高揚へとつながった。

戦間期エジプトの半独立と民族運動

もっとも早く形式的独立に到達したのはエジプトである。一九二二年、イギリスは保護国体制を改め、立憲君主制のエジプト王国を承認したが、スエズ運河や軍事・外交の多くは依然としてイギリスの影響下に置かれた。このなかで、民族主義政党ワフド党が独立完遂と議会政治の拡大を求めて運動を展開し、一九二八年にはイスラームに立脚した社会改革を唱えるムスリム同胞団も誕生した。一九三六年のエジプト=イギリス同盟条約は駐留軍削減など一定の権限回復を認めたが、完全な主権回復には至らず、エジプトの半独立状態は戦後まで続いた。

アラビア半島の統一とサウジアラビアの成立

アラビア半島では、ナジュド地方の指導者イブン=サウードが、ワッハーブ派の宗教勢力を背景に諸部族を統合し、ヒジャーズ地方のハーシム家と覇権を争った。第一次世界大戦後、メッカのシャリーフが立てたヒジャーズ王国は一時期アラブ独立の象徴とみなされたが、二〇年代にヒジャーズ=ネジド王国としてサウード家の勢力が半島をほぼ統一し、一九三二年には近代イスラーム王国としてサウジアラビア王国が成立した。サウジアラビアは形式上は独立王国として発足したが、石油開発をめぐって欧米資本との結び付きが深まり、政治的独立と経済的依存の併存という典型的な構図を示した。

カリフ制廃止と地域秩序の再編

一九二四年、トルコ共和国政権はイスラーム世界の精神的権威であったカリフ制を廃止した。このカリフ制廃止は、アラブ世界においても大きな衝撃を与え、オスマン帝国の枠組みから離れて独自の国家と指導者を求める動きを加速させた。他方で、英仏は委任統治領において国境線を画定し、部族や宗派を分断する形で国家を構成したため、シリアやイラクなどでは独立後も内戦や政変の火種が残された。

第二次世界大戦後の脱植民地化とアラブ世界

第二次世界大戦は、植民地支配国であるイギリスとフランスの国力を大きく消耗させ、戦後には国際連合による信託統治制度と民族自決原則が強調された。これにより、戦間期に準備されていた独立要求は一挙に現実味を帯び、四〇年代後半にはシリアとレバノンの完全独立、ヨルダンやイラクの主権拡大、北アフリカや湾岸でも独立への道筋が模索された。同時に、イランのパフレヴィー朝や隣接するアフガニスタン独立など、非アラブ地域の動きも連関し、中東全体の国際秩序は大きく再編されていった。

独立後の国家建設とアラブ民族主義

アラブ諸国は形式的独立を達成したのちも、冷戦構造や石油利権を通じた外部干渉、パレスチナ問題などに直面した。このなかで、アラブ世界の統一と対外的自立を掲げるアラブ民族主義が広がり、エジプトなどでは軍人政権の樹立や社会主義的政策が進められた。他方で、王制を維持した産油国では王族と部族エリートが国内秩序を形成し、宗教的権威と石油収入を基盤とした統治が行われた。こうして、アラブ世界の独立は単一の出来事ではなく、地域や体制の違いを反映した多様な国家建設のプロセスとして理解されるべき歴史現象となった。